京都大学における「国際高等教育院」構想、反対側への疑問(その3)

京都大学の中で話題になっている「国際高等教育院」構想について、特にこの構想へ反対する側の議論を批判的に検討することを念頭に、今回は、いわゆる総長メールに添付された参考資料1から参考資料4について、その内容を把握し検討してみようと思う。また、総人・人環有志がこれらの参考資料に対して行ったコメントの内容についても検討したい。

前回は参考資料1と参考資料2の内容を概観し、それらへの反対側のコメントについて検討した。今回は参考資料3および参考資料4の内容を概観し、それらへの反対側のコメントを検討したいと思う。

参考資料3の内容概観

「全学共通教育システム検討小委員会議論のまとめ」と題された参考資料3は、(1)節での要旨に引き続いて、小委員会での意見交換の概要をまとめた(2)節、大学設置基準と教養科目の関係について議論している(3)節、改善案の(4)節からなっている。

 まず小委員会での議論をまとめた(2)節を見てみる。
 ほぼ時系列順に整理されているが、ここでは、全学共通科目についての問題点の指摘に関する部分を箇条書きで拾ってみたい。
 まず第1回会合に関する部分では大きく4つの指摘がある。
 一つ目の指摘は、大学入学時までの履修状況や習得レベルに関するものである。

現在の初等中等教育の学習指導要領は、本学の授業担当教員の学生時代のものとは大きく異なっており、一般的な教養にかかる知識の修得に関して質的にも量的にも大きく変化しているが、この点に対する授業担当教員の配慮が不十分ではないかとの指摘があった。例えば「理科」およびいわゆる「社会科」について、現在の学習指導要領では、科目レベルで必修化されているものは、理科は11科目中2科目、社会は9科目中3〜4科目であり、本学全学共通科目の現在の枠組みを議論した平成5年頃のものと比較しても、質的にも量的にも極めて薄くなっている。これは他の教科・科目についても同様の傾向といえる。さらに18歳人口の減少から学部入学試験の競争が緩和されたこととも相俟って、近年の本学入学者の基礎学力の変化および一般教養修得に関する水準の偏差は大きくなっており、これらは看過できないものとなっている。

 二つ目の指摘は、理系生に対する文系教養科目のレベル、文系生に対する理系教養科目のレベルに関するものである。

約7割の理科系出身学生の中には、特に近年、本学の理系入試科目に特化した受験勉強を高等学校で行なっていたためか、いわゆる人文・社会科学に関する一般的知識・教養が著しく欠如する例が散見され、本学入学者を「高校4年生」とも位置づけた一般教養の修得の必要を説く声も聞かれる。すなわち、この約7割を占める理科系出身学生に対する教養教育としては、現行の「高度一般教育としてのA群科目」の水準が高度に過ぎるとの懸念があり、これらの科目に先立つ基礎的な内容の科目の充実がむしろ喫緊の課題との指摘がある。一方、約3割の文科系出身学生を対象とした理系学術の基礎・教養科目が不十分との指摘は従前からあるものの、その改善がいっこうに果たされないまま現在に至っていることも大きな問題である。

 三つ目の指摘は外国語科目に関するものである。

外国語の問題も深刻で、「卒業単位のための外国語」という極めて消極的な態度で履修する学生がいる一方で、将来のキャリア形成を考えて学外の専門学校等に自費で通って外国語の学習に取り組んでいる学生もいる。昨今本学で進められている「英語による科目」の導入を考慮した場合、(1)全学生に対する英語能力の向上とスキルアップ、(2)熱意ある学生に対する第二(あるいは第三)外国語学習の充実という2本立てで外国語教育の一層の充実を図ることも一つの方向であり、学部ごとのカリキュラム・ポリシーに沿ってこれまでとは異なる視点での議論が必要と考えられる。

 四つ目の指摘は、複数群科目問題と「楽勝科目」との関係である。

複数群科目問題は全学共通教育システム委員会においても既に議論されている通りである。複数群への科目分類は、本来は学際的な学域の科目を複数群に分類するという学術的な意義であった。しかし現実の学生の科目選択行動では、各学部の卒業要件との絡みの中で、既修得の知識で単位を取り易い科目を選択して履修する傾向があり、不適切な事態を生んでいる。現在のA・B・C・D群による科目分類は、20年以上前の旧大学設置基準の分類を踏襲したものであり、この複数群科目の問題を論じる際には、現行の科目群の枠組み自体を抜本的に論じることが合理的との見方もある。またその中で、ポケット・ゼミの位置づけについても再検討することが必要と考えられる。

 第2回会合でも

開講科目数が多すぎて履修に際して学生が迷ってしまうこと、クラス規模に極端な大小の差があること、非常勤講師による代替講義が固定化されていること、専門性が過度に高度な一部科目について教養・共通教育としての意義が不明瞭であること等が指摘された。また全学共通科目の開講に関し、一部の科目部会の審査が十分に機能していないことも指摘された。さらに現在のA群科目については、(B群科目における)科目部会に相当する議論の場がなく、透明な議論の場で、当該学術の特性も考慮しつつ、履修学生を抱える各学部の事情を考慮して個々の科目の開講の適切性等を詳細に審議する体制になっていない

といった問題点が指摘されている。

 第3回会合では、さらに踏み込んで具体的な点に関する問題点が議論されたようだ。

第2回小委員会よりさらに具体的な個々の問題についての意見交換があった。例えば、ある文系学部では、専門分野とは異なる分野について、基礎的・俯瞰的な科目の履修を学生に推奨したいが、現状ではA群科目としてひとくくりの科目群であるために履修指導を行なう上での困難がある。もう少し細かな科目のグループ分けと、専門性の程度・水準についてのラベリングをして欲しいとの要請が出された。また、実施責任部局の科目提供は、「必要に応じて」と規定されているものの、個々の提供科目の必要性に関する検証が十分に行なわれていない。さらに深刻な問題は、いわゆる34人問題に起因する協力部局による提供義務科目の問題で、自部局の得意な分野の科目を提供する傾向が強いため、結果として、開講科目全体で内容の著しい重複が生じる反面、共通・教養科目として当然開講されるべき内容の科目が手薄になるという問題が生じている。教養教育においても共通教育においても、必要な科目は時代とともに変化しており、各学部は全学共通教育システム委員会を通じてその要望を実施責任部局と協力部局に明示すべきであり、それをもとにした開講科目の審査・調整が必要である。

さらに具体的な問題としては、「基礎ゼミナール」の中には専門性が過度に高く、いわゆる学部専門科目相当の内容のものも見受けられることが指摘された。全学共通教育実施責任部局は、10学部に対する共通・教養教育において必要な科目の提供として、内容の高度なゼミナール科目ではなく、各学部のニーズに沿って、もっと基礎的な内容の講義科目の提供に力を注ぐべきではないか。しかしその一方で、人間・環境学研究科では、全共、総人、大学院の三者に係るミッションを全て果たす教員人事を行う必要のため、最善の努力を行なってはいるものの、場合によっては必要な全学共通科目を担当できる教員を直ちに取れない場合もあり、運営において非常に苦労しているという実情も報告された。

また学部の事情に起因する問題として、理系学部の一部で、コース分属あるいは進級時の要件としてB群・C群科目の成績しか考慮しない事例が有り、そのため学生がA群科目を軽視し、結果として安易な単位目的の履修が根強く行なわれているとの指摘があった。またクラス配当時間割が過度にタイトな学部では、この時間割の制約のために、学生の適切なA群科目の選択・履修が損なわれているとの指摘もあった。現状では、クラス配当科目と一般選択科目の重なりの問題は深刻で、時間割の見直しや、A群科目をどの曜時限に開講すべきかを具体的に検証する必要があるとの指摘もあった。

 外国語教育に関しては既に触れていた。 再掲しておく。

外国語教育については、英語部会はリーディング/ライティングを中心とする学術目的の英語教育を重視しているが、学生はオーラル・コミュニケーション等のより実践的能力の向上も求めており、学生の希望と科目提供の間に齟齬があるのではないかとの指摘がある一方、大学は海外旅行に必要な程度の英会話を教える場ではないとの意見も出された。また今や「地球語」ともいわれる英語の能力の向上を第一義とするべきとの意見も出される一方、英語以外の外国語を教養として学ぶことは多文化理解の観点からの意義があるとの指摘もあった。いずれにせよ、この問題は、求められる学士力の観点から各学部が検討する事項であり、学部は外国語教育の在り方を抜本的に再検討すべきである。「卒業単位だけのための外国語履修」といった無意味な履修行動を根絶するための対応は早急に行われるべきものである。

 (3)節は組織論に関することなので、詳細は省略する。次の一節を引用するだけにとどめよう。

現行の大学設置基準の枠内で、自由な発想によって、時代の要請に応える適切な教育課程をデザインすることが重要と考えられる。すなわちどの程度の教養の涵養を要求するのか、卒業要件における外国語は幾つの言語を何単位要求するのか、情報教育はどのような位置づけとするのか、専門教育はどのように展開するのか等、現在の本学入学者の学力水準を考慮した教育課程のデザインを行なうことが必要で、その際にはカリキュラム・ポリシーに則った体系性と順次性を明確にすることが求められている。その上で、各学部のニーズに合った共通・教養教育にかかる科目提供の在り方やその実施を、10学部と全学共通教育実施責任部局および協力部局が対等に議論することが、本学の共通・教養教育の改善に向けた全うな道筋であろう。

 (4)節は改善案だが、まず(1)節の要約にある次の記述から大枠が理解できる。

  • 「複数群科目」という科目分類は廃止し、現在複数群に跨っている科目は何れかの科目群へ適切に振り分ける。
  • 現在の科目群を変更し、新たに次の5群を提案する。

i . 人文・社会科学系科目群(概ね現在のA群のコアとなる部分相当)
ii. 自然・応用科学系科目群(概ね現在のB群相当)
iii. 外国語科目群(概ね現在のC群相当)
iv. 生活・環境科目群(仮称):現代の社会生活と直接関連する学術・技能に係る科目を集めて新たな科目群とする。
v. 拡大科目群(仮称)
:上記の4群にとらわれず、内容・水準共にバラエティーに富んだ科目を集めて新たな科目群とする。 ・ 人文・社会科学に関する群科目(現行ではA群科目)を幾つかの系に分け、個々の開講科目の必要性や適切性を履修学生の属する学部からの委員も交えた委員会等で検討する体制を導入する。必要に応じて生活・環境科目群(仮称)も同様とする。

  • 科目提供に際し、開講科目のレベル(内容の専門性の程度)による分類も導入し、順次性を考慮した体系的なカリキュラム設計による指導が可能となるようにする。この他、種々の教育評価への対応や求められる学士力の養成を考慮しつつ、開講科目の整理やいわゆるキャップ制の導入等の問題について、各学部は共通教育システム委員会等において議論を深め、協力して早急に対応する必要がある。

この改善案の後に付された補足的な説明の中からいくつか拾ってみる。

  • 現在の全学共通教育の実施責任部局および協力部局から(主として、いわゆるデューティー科目として)提供される科目を整理して、上記の意味でのラベリングを行ない、それをもとに各学部が当該学部の教養教育の実施を考える方が現実的と思われる。
  • このような授業科目の整理・分類・ラベリングは、各学部が教養教育を含めた体系的かつ順次性を持った教育課程を構築し、それに沿った学生指導を行ない、また履修する学生に適切な科目選択を行なうための判断基準を明示することがその目的である。従って、すべての科目にラベリングを行うのは当然であるが、上記の3つのラベリングにこだわる必要はない。ただし、ラベリングの目的を無視して安易な議論に基づき形式的な対応をすると、本学の教養教育に一層の問題を生じさせる可能性がある。
  • 注意すべきは、教養教育あるいは教養科目を狭義に捉えることは、本学の目指す「全人教育」の観点からも好ましいとは言えないことである。本学入学者の約7割が高等学校では理科系出身者であり、いわゆる「社会科」の選択性ならびに理系入学試験科目対策のために古典文学、地理・歴史等に関する一般常識・一般教養に欠如が見られる学生が入学していることは事実である。同様に、約3割の文科系出身学生の一部には、理科に関する一般常識・一般教養が大きく欠如している事例も見受けられる。従ってこれらの事実を前提とした一般教養・一般常識に関する授業科目を用意することは必要であり、現実に数学や物理ではそういうケアをしている。一方で、例えば、経済学に関する標準的あるいはやや高度な内容の共通科目が法学部の学生にとっては教養的な役割を果たすこともあるであろうし、生物の先端的な話題の解説が工学部の機械系の学生にとっての教養教育となる場合もある。本学の目指す「全人教育」の基盤となるような教養教育は多様かつ層の厚いものであらねばならず、この視点は本学がこれまで積み重ねてきた教養教育の伝統であると考えられる。
  • しかし繰り返すことになるが、社会人の一般常識とも結び付くような基礎的な内容にかかる幾つかの学域については、「i.初修教養科目」の開講要請が高いことは事実であり、その具体化については早期に調整を図るべきである。ただし、この「i.初修教養科目」の導入の際に、既修得の知識だけでこの初修的科目ばかりを安易に履修し、結果として何らの教養の涵養にもならないような事態は容易に想像されるので、各学部は「i.初修教養科目」の開講に際してはこれまで以上にきめ細かな学生指導あるいは卒業要件の設定が必要である。その際に、求められる学士力の観点から、テーマ性あるいはストーリー性を持つ教養教育を全学共通科目を利用してデザインするという、これまでとは違った方法も考えられる。現在の本学の全学共通教育の根元的な問題点の一つに、全学共通科目という授業科目のマーケットに対し、ややもすれば、学生は卒業要件を容易に満すという観点のみから単位消費行動として科目履修を行なっているという事情が考えられる。どのように科目を整理・ラベリング等を行なっても、適切な履修指導あるいは卒業要件の設定がなければ結果は同じであり、それなしでは「i.初修教養科目」の導入によって学生の資質を一層下げることにもなりかねない。
  • 理系学部では、クラス配当時間割が表面的にはタイトなあまり、理念論としての履修指導が行なわれても、現実に学生が選択できる科目の幅が限られているという事態があり、これも早急な改善が必要である。クラス配当授業は、本来は当該クラスの殆んど全員が履修するという前提で配置されるものである。クラス配当時間割の中で、実習・実験科目のように履修制限の都合から記載されているものは別扱い表示をするなどの工夫を行ない、学生が適切に教養科目の選択ができるような最大限の配慮を行なうべきである。

参考資料4の内容概観

 参考資料4は「平成25年度以降の全学共通科目の科目設計等について(報告)」と題された文書である。報告の概要については、I節から骨子を引用するだけにとどめよう。

(1)「議論のまとめ」に従い、平成25年度からは現行の(A,B,C,D,EXの5つの)科目群を廃止し、新たに「人文・社会科学系科目群」、「自然・応用科学系科目群」、「外国語科目群」、「現代社会適応科目群」、「拡大科目群」の5つの科目群を導入する。
(2)全学共通科目の設計においては、本学入学者が受けた高等学校卒業までの教育の内容・水準、および本学で課す入学試験の教科・科目等を十分勘案すること。特に教養教育に関しては、本学の目指す卓越した知の継承に必要な基礎的(ファンダメンタル)な内容の授業展開に配慮する。
(3)人文・社会科学系科目群の科目設計に際しては、人文科学と社会科学の根幹および基礎(ファンダメンタル)に係る内容の科目の開講に重点をおき、現行のA群科目の7つの系のうち「複合」を除く6つの系(哲学・思想系、歴史・文明系、芸術・言語文化系、行動科学系、地域・文化系、社会科学系)を科目群の下部において系毎に具体的な科目設計の議論を行う。各系の議論では、過去の開講科目の内容や名称に捕われず、上記(2)に従って科目設計の議論を行うこととする。
(4)人文・社会科学系科目群および自然・応用科学系科目群では、基礎的あるいは重要な内容の科目について、過度な細分化を避けて可能な限り大括りの科目名で開講する。
(5)科目設計(特に人文・社会科学系科目群および自然・応用科学系科目群)に際しては、上記(4)の“科目の大括り化”とともに、各科目間の階層性や順次性を明らかにすること。また知の体系性、あるいは科目の階層性・順次性にそぐわない科目については、拡大科目群での開講とする。
(6)現代社会適応科目群および拡大科目群では適切な科目のグルーピングを導入し、各学部の履修指導の便宜に配慮する。具体的には、現代社会適応科目群は情報系科目、健康科学系科目、環境系科目、法・倫理コンプライアンス系科目等に分けて科目設計の議論を行う。同様に拡大科目群については、スポーツ実習科目、少人数教育科目、カルチャー一般科目、キャリア支援科目、国際交流科目、単位互換科目等のグルーピングを導入する。
(7)各学部に対しては、新たな群科目等に対応すべく、関係規程等の改訂などの適切な対応を早急にとることを要請する。その際に、卒業要件における全学共通科目の必要単位数の再検討を行い、必要に応じて、単位数の削減・変更の検討を要請する。
(8)平成25年度からの導入が既に決定している全学共通科目の履修登録コマ数の制限について、その具体的内容および方法を早期に決定すること。

 まずII節の「全学共通科目の設計について」の中で指摘されている点をいくつか拾ってみる。

  • 平成20年度の議論においては「各論」に分類された科目の一部は2回生以上の配当としての若干の順次性が見られたが、平成24年度では殆どの科目が「全学向全回生」対象となり、各科目の履修者数の確保を優先した近年の議論が誤った方向をもたらしたとも考えられる
  • A群科目について、平成25年度以降の科目設計においては、現在開講されている科目の一つ一つを個別に精査し、基礎的(ファンダメンタル)な内容の科目の充実が強く求められる。実際、いわゆる「ゆとり教育」の定着によって大学生の一般教養の水準が過去と比較しても低下していることは一般的に指摘される周知のことであるが、それに加え、高等学校での必履修科目の減少、また入学試験における教科・科目の選択の増加から、本学入学者の一般教養の知識水準は大きく多様化している。ゆとり教育によって大学入学以前の学習量が減少したことを考慮すれば、大学での授業を通した基本事項の理解の徹底の必要性は過去と比べても増加しており、いわゆる「基礎論」的科目の提供増加が強く望まれる
  • しかしここで注意すべきことは、人文・社会科学の学術は厳格な知識の積み上げを要する数学や物理学等とは異なり、学習段階における積み上げ的な知識の必要性は明確ではない。すなわち基礎的(ファンダメンタル)な内容の理解の徹底のために「基礎論」を経て「各論」に至るという科目構成を形式的に厳守する必然性は数学や物理等よりも低く、授業展開の方法によっては「各論」の理解を通して「基礎論」的事項の理解に至る場合もしばしば見られることである。また社会科学に関する学術の多くは、高等学校レベルでの学習は過去も現在も極めて少なく、大学入学後に初めて接する学生も多い。従って人文・社会科学系科目群の科目設計の際に、「基礎論」「各論」の位置づけをすべての科目について一律に要求することが合理的とは考えにくい。さらに履修学生の教養の涵養に繋がる優れた講義は、当該講義の教員の教育的熱意に負うところも多く、形式的な科目分類を外的に過度に強制した場合、熱意ある個性的な授業展開を損なう可能性も危惧される。
  • 4年一貫の学士課程教育によって各学部が目指す人材像に向けた履修指導を行おうとする場合、現在のような極めて多様なA群科目の開講の中では、きめ細かな履修指導を行うことは殆ど不可能である。このため、学部は卒業要件としてのA群科目の単位数を指定するに留まり、結果として、多くの学生は卒業要件のためだけのA群科目履修という行動に至り、卓越した知の継承にとって必要な教養の涵養を各科目の履修を通して目指すという理想からはほど遠い実情となっている。さらに現在の全学共通科目は、開講科目をA群、B群、C群、D群の何れかに分類するため、教養教育の観点からも、あるいは(複数の学部にまたがる)共通科目の観点からも重要とは考えられないような科目が、A群あるいはB群で開講されてしまっているという事情がある。またそのような科目の幾つかがいわゆる楽勝科目化している場合も見受けられ、事態を一層悪化させている。このような事態を廃して教育の質の向上を目指した改善を行うため、学部側の希望としては、制度としての開講科目分類は別として、当該学部の教育において必要な教養的・基本的内容に係る基礎的(ファンダメンタル)な内容の科目を、履修指導等を通して学生に提示しやすくすることが強く望まれる。具体的には、基礎的(ファンダメンタル)な内容の科目では、同一科目名による複数クラス開講を前提に、履修指導あるいは卒業要件規定により、必要な学術の全学共通科目の履修を通しての定着が可能となる体制の整備が強く望まれる。
  • 教養科目としての開講科目、特に文系学部の学生を対象とした自然・応用科学に関する教養科目は極めて貧弱であり、その充実は急務な課題である。文系学部からは、高度に技術化されている現代社会の基盤技術、最先端の科学・医療等の内容の平易な解説、および文系学生を対象とした共通教育としての統計学等の講義の充実が、開講科目の希望として挙げられている。ここでも高等学校での理科の必履修科目の減少による基本的な知識の未修は大きな問題であり、特に知識の積み上げが必要な数学や物理学等の内容をかいつまんで講述しながら先端的な話題を平易に解説することは容易ではない。しかしこれは、理系学部が人文・社会科学の教養のエッセンスを半期の講義でコンパクトに講述して欲しいと希望していることと双対の関係にあるようにも考えられ、理系の学術に携わる教員各位は授業展開の一層の工夫により、文系学部からの希望に対応するような努力をお願いしたい。科目設計の際に、15回の授業回数分のテーマを羅列するだけのリレー講義の設計は無責任な内容になりかねないが、例えばテーマを明確にして異なる学術の3人程度の教員がリレーによって一つのテーマを多角的に扱ったり、前例は少ないが、複数の科目部会で協力して1つの講義を設計するなども今後は考えられる。新たな自然・応用科学系科目群の下で、自然・応用科学系に係る教養科目の新たな科目設計が望まれる。なお、自然・応用科学系に係る教養的な科目は文系学生のみを対象とするといった固定的な考えから離れ、理系学生を対象とする自然・応用科学系に関する教養的な科目の設計にも配慮が必要である。

III節は卒業要件に関する部分である。

  • 今回の全学共通科目の科目群分類の変更に伴う卒業要件変更の検討に際し、各学部は教養科目と専門科目、全学共通科目と学部科目、ならびに外国語教育の位置づけについて、学士課程の目的と本学の教育を取り巻く諸事情を総合的に勘案した抜本的な検討をお願いしたい。現在の全学共通科目、特にA群科目と外国語に見られる諸問題には、全学共通科目を卒業要件の構成要素としてしか考えない学生の履修行動に起因する部分も考えられ、この機会に「卒業要件のために全学共通科目を履修する」という悪弊の一掃に対する有効な施策の検討が強く望まれる。
  • 近未来に導入されるであろういわゆるキャップ制も視野に入れた場合、卒業要件に必要な全学共通科目の必要単位数をある程度圧縮する必要があると考えられる。すなわち、卒業要件に占める全学共通科目の単位認定上限は別にして、下限については必要に応じて削減すべきと考えられる。
  • 学生の「自学自習」を本学の基本理念に掲げていること自体には意味が認められるが、これを論拠に学生を無責任に放置しているのではないかとの危惧が小委員会では指摘された。大学を取り巻く諸事情を考慮した場合、「本学は入学者に対してしっかりとした学力をつける」ことを教員自身が自覚すべきではなかろうか。これは本学の掲げる「自学自習」を妨げるものでは決してないはずである。現在のように個性も学力も多様化した本学入学者の実情を十分考慮し、また教員目線だけではなく学生目線にも立ち、「目的をもった学士課程教育」の充実のための卒業要件の在り方についての議論をお願いしたい。

参考資料3および参考資料4への反対側のコメントについて

参考資料3および参考資料4は、かなり具体的で詳細な内容に踏み込んだものになっており、かなり制度的に複雑な部分もある。
 しかし、そうは言っても、「総人・人環有志のコメント」にあるような

以上の2報告(参考資料3と資料4)に提案された教養・共通教育科目の群編成の再編と改善は現に(2012年度に)変更作業が進んでおり、全学組織である高等教育研究開発推進機構の全学共通教育システム委員会が正常に機能していることを示す資料である。

という切り取り方にはいささか疑問がある。かなり多くの問題点が指摘され、設計の改善を求められている。どのように改善されようとしているのかについて何も記述がなければ、外部からは検証しようがない。「総人・人環有志コメント」は、その後、組織論の詳細についてコメントしているだけである。

次回は、反対側が提案している基幹ユニット構想や文系科目についての考え方などを検討してみたい。