片瀬久美子氏の付録への疑問-epilogue

 片瀬久美子氏が『もうダマされないための「科学」講義』という本の付録に書いた「放射性物質をめぐるあやしい情報と不安に付け込む人たち」という文章とそれに関連した片瀬氏の発言や記述に対する疑問点や批判を述べてきた。

 私が書いた(その6)「議論の姿勢について」がいくつかの場所で取り上げられて、片瀬氏への批判も多くなされた。
私は一貫して片瀬氏の提示した「論証/論理の質」を問題にし、疑問点や批判を述べたつもりであるが、(その6)が注目されて、他の部分への検証が進まなかった印象があるのは残念な感がある。しかしそれは私の記事の書き方にも問題があったということなのだろう。

 私の記事に対して、ツイッターでの発言が気に入らないのだろうという推測も頂いた。
確かに私は片瀬氏のツイッターにおける発言の仕方にはかなり拙さがあると感じていた。また「放射性物質をめぐるあやしい情報と不安に付け込む人たち」という文章の書きぶりにも問題があると感じていた。
しかし、もしそうした記述や発言が、研究者としての確かな分析力に裏打ちされているのであれば、こうした記事にまでしようと思わなかったかもしれない。
 私がこれらの記事を書こうと思った直接のきっかけは、片瀬氏のアップルペクチンに関する論文検証記事であった。
 私はこの検証記事で取り上げられている論文を見て、片瀬氏の論証の質にかなり問題があるのではないかという疑念を抱いた。こうした疑念は、「研究報告を一通り調べてみたが、いずれにも重要な不備があり、きちんとした証明には至っておらず」と片瀬氏が書いたとき、その記述を信頼できるかという点に直結していると私は考える。
 また片瀬氏が「研究者」あるいは「理学博士」としての立場で発言しているのではないかと推測される発言をしていたことも重要視した。

 interludeでも書いたが、「片瀬氏が多くの資料とデータを調べてそれらを提供していること」自体には評価に値すると考えている。しかしそうしたデータや記事に対して、片瀬氏自身が自身の言葉で記述したり発言したと思われる箇所に、拙い論証やエスカレートさせてしまっている部分が見受けられた。片瀬氏は今まで何人かの人と論争したり批判されたりしているようだが、私には、その一因として、片瀬氏自身の書きぶりの中に、適用範囲を拡大して断定してしまったが故にほころびが出ている箇所が様々に含まれているということがあるのではないかと考えている。そして片瀬氏はそのほころびに対して少なくとも私の目から見ると十分に自覚的ではないように思われた。

 あえて感情的に言うならば、私のような専門家ではない人間が少し検討しただけで、取り上げられている事柄の蓋然性について疑問を抱いたり、問題点をいくつか指摘できるような論文検証記事を書くということは、私にとって片瀬氏の「研究者」としての「論証の質」に疑念を抱かせるには十分すぎるほどだといわざるを得ないと考える。

 だから私は片瀬氏の発言を元に研究内容や学位論文について調べた。ここまでの記事にはあえて書かなかったが、私は片瀬氏がどのような研究を行って学位論文を書いたかということもおおよそ見当をつけているつもりである。例えば片瀬氏が「形を変えやすい植物」としてモヤシの例を引き合いに出したのは、片瀬氏の研究と関連があったからではないかと推測している。私の見当が正しければ、片瀬氏の学位論文は十分に評価の高い雑誌に掲載されており、私が批判的にコメントしても十分に応対可能な研究者であると私は認識した。だからこそ今回の記事を書いた。
 加えて私のような専門家ではない人間の言うことなのだから的を得ていない指摘も当然あるだろうし、内容の妥当性をレビューしてもらうことや可能ならば片瀬氏自身からのコメントも期待してこの記事を書いたというのが実情である。

 10本の記事を書いてきたので、とりあえずepilogueと打ってきりをつけたいと思う。

 このブログの匿名性や他の記事がないことに対する批判もあった。私は、少なくとも片瀬氏とこのブログ以外での繋がりは何もないし、このブログで書いたことは、発言者の実名や所属とはあまり関係ないレベルで妥当性があるかないかが検証できる程度の内容であると考えているために、あまりそうした批判が大切だとは思わないが、他の記事もおいおい追加していこうと思う。