日本数学会による大学生数学基本調査への疑問(その2)─問題およびその正答例の妥当性について─

今回の調査は、「高等教育を受ける前提となる数学的素養と論理力を大学生がどの程度身につけているのか、その実態を把握」することをひとつの目標に行われたものである。
用いられた問題は3つのステージ合計5問であった。調査票+問題はこのpdfファイルにある。また、正答例はこのpdfにある。

私が問題だと感じる点を列挙すると次のようになる。

  • 問1-1、問1-2にも根拠を説明させるべきだった。

 この2問は、いずれも3つの選択肢の正誤を判定させる問題だったが、この2問には回答を選んだ理由や根拠を述べさせる欄がなかった。○か×かが重要なのではなく、どのように考えた結果間違えたのかを探ることこそ重要である。正誤を正しく選択できた人でもその根拠が誤りである場合は当然ある。問2-1では厳密な「証明」を要求しているにも関わらず問1-1,問1-2ではそうした観点がなぜなかったのか不思議である。これでは「数学的素養」と「論理力」を十分に把握できるとは思えない。

この問1-1に対して、冒頭で紹介した水無月ばけら氏のブログでは、有効数字に関する問題点が指摘されている。この問題点に関してツイッター上でh_Okumura氏が「数学科で問題に163.5と書いてあれば163.5として計算してよいというのがお約束だが,現実世界での163.5は163.45以上163.55未満のこと。このあたりの頭の切換えができないと日本数学会は有効数字も知らないと批判する人が出る。」とコメントし、それに対して新井紀子氏が「そのご指摘があったことは承知しており、データを精査しています。いずれ正式にお答えすると思います。」と述べている。しかし、この設問のように「理由」を述べさせる形になっていないと、どれだけ「データを精査」したところで得られるものは少ないと考えられる。やはり、根拠を述べさせることは必要だったのではないか。

  • 問1-1,問1-2合計で5分という回答時間が適切かどうか疑問である。

回答時間をどの程度厳密に測定したのかはわからないが、全部で6個の選択肢の正誤を判定させるのに5分というのは少し酷だと思った。考える速度が速いか遅いかは少なくとも第一義には「数学的素養」や「論理力」と等価ではない。時間は十分に与えるべきだったのではないか。FAQのp.2のQ7で「調査協力者によれば・・・・解答に必要な時間は十分でした。」とあるが、それは一体誰がどういう根拠でそう判断したのか不明である。

  • 問2-1では問題の内容が余りに基本的過ぎた。

 「偶数と奇数を足したら奇数になる」のは当たり前だすぎるくらい当たり前だ。
それを、「整数n,mを使って2nと2m+1とおいて、その和が2(n+m)+1で、n+mは整数だから、2n+2m+1は奇数だ。」とかけないと「正答」とはみなさないと考えるのはもちろんそれでひとつの立場だ。私は、偶数を2n、奇数を2m+1と文字式で表すということの重要性は強調するに足ると思っている。一般項を設定できることは数学の発展にとっても非常な重要な側面を持っていると考えるからだ。しかし、その重要性はすくなくとも報告書の「概要版」では述べられていないし、またその重要性をこの問題を通じて理解してもらおうということには問題の内容があまりに当たり前すぎるという点から無理があると思う。

 例えば「報告書の概要版」p.4で例としてあげられている「割り切れないから」という回答を「トートロジーを繰り返す」回答であると断定したり、「偶数を足すことは和の偶奇に影響を与えないため、奇数に偶数をたすと、いつも必ず奇数になるから。」という解答を「トートロジーを繰り返す」とか「あいまいな言説への逃避や無関係な事柄からの類推」と断定し、「重篤な誤答」とするのはあまりに酷だと思う。「小学校の説明活動のように、文字を用いず碁石などを用いて直感的に説明する」というものを「典型的な誤答」と断定することも同様だと考える。それらは確かに厳密な論証とはいえないが、「理由の説明」として「誤り」であるとまでは言えないのではなかろうか。

  • 問2-1では質問の形式「理由を説明してください」にも問題があった。

 これには問題文の記述の拙さもある。「次の選択肢のうち正しいものに○を記入し、そうなる理由を下の空欄で説明してください。」という記述では、それが厳密な証明を求めているのか、もう少し直感的なことでいいのか判断できないし、また聞かれている内容が基本的であるからこそなおそこで戸惑う可能性が高いと思う。
 しかし、問2-1の結果について、

「偶数と奇数の和が奇数になる」証明を明快に記述できる学生が稀(提言p.2)
偶数+奇数は奇数になることの論証の正答+準正答率は33.9%(正答率は19.1%)であり(報告書概要版p.3)

と断定している。「理由を説明してください」は「証明してください」や「論証してください」と等価な質問である、あるいはそのように解釈しなければならないということにされてしまっている。
 FAQのp.2にあるQ10で「『証明せよ』と書くとそれだけで無回答が増えるという可能性があるので避けた」という説明や、「『理由を説明せよ』ということをどう受け取り答えるかを見ようと意図」という説明があり、「『すべての場合を尽くした』説明をする上では文字式等を用いた一般的な説明が求められること」を重視するのだという見解が述べられているが、「理由を説明せよ」という問題文がそうした「文字式を用いた証明を与えよ」ということだと了解できるかどうかは別の問題だと考える。

 冒頭で紹介した水無月ばけら氏のブログでは、この問い方を「カジュアルな感じ」と評しているが、私は調査もコミュニケーションである以上、調査側が何を求めているかははっきりと明示するべきだと考える。「理由を説明せよ」が「厳密な論証」を求めることと等価であるというのはあまりに錯誤的で独りよがりだとさえ感じられる。
 「重篤な誤答」の一例とされている「思いつく偶数と奇数を足してみたらすべて奇数になったから」というのは、確かに「すべての場合を尽くしているか」という点に問題があり、またそれは厳密な意味で他者を説得できる根拠とは言えないという点に問題がある回答である。しかし、こういう回答を前にして、「やっぱりこういう回答があるんですね。」と愚痴っても仕方がないのであり、私は、調査の問題の中で、「手近な例で予想すること」と「その予想を証明すること」とは別であることを明示した形で問えばよかったのだと考える。
 この問題は、例えば「4で割った余りが3の数Aと4で割った余りが2の数Bの和A+Bを考えます。A+Bを4で割った余りはいくらになりますか?まず予想してください。次にそれを証明してください。」ぐらいでも良かったはずだ。

  • 問題2-2は質問の形式「重要な特徴を、文章で3つ答えてください」に問題があった。

 どう考えても「重要な特徴」というのは主観的過ぎて何を問うているのか不明だ。例えば、「上に凸である。x=3に関して線対称である。y軸と(0,-8)で交わる。」という3つをあげた場合、それは「重要な特徴」をあげたことになるだろう。しかし厳密にはこの3つの条件だけからもとの2次関数を復元することはできない。つまりこれは「重要」かもしれないが、もとの2次関数を特徴付ける必要十分な条件とは決して言えない。他方、「(2,0)を通る。(4,0)を通る。(0,-8)を通る。」はどれも通る点について述べたという意味では同じ特徴が「重複している」が、もとの2次関数を特徴付ける必要十分な条件である。こういう回答を「重要な特徴を、文章で3つ答えてください」という質問の「正答」としうるのかどうかはなはだ疑問だ。

 FAQのp.3のQ11の中で、「価値観を問うようなたずね方は不適切なのではありませんか?」という質問に対して、「本調査は、成績や進路に関係するものではありません。ですから、設問の妥当性は調査目的に合致しているかどうかによって判断されるべきだと考えます。」といういささか官僚的な見解に続いて、

「個別の操作(計算等)は比較的よくできるが、その操作の意味がわかっていない・考えない大学生が増えた」という意見が、これまで日本数学会会員から多数寄せられてきました。そこで、「できる」と「わかる」の乖離を調べるために、あえてこのような設問を設定しました。本設問では、二次関数に関して学ぶ操作(例:x軸やy軸との交点を求める、頂点の座標を求める、等)がどのような意味を持つかを理解しているかを調査しています。これにより、二次関数のイメージが根本からずれてしまっている層や、自分が受けた印象と客観的であるべき特徴との違いを認識できていない層が存在し、またそれが無視できないほど大きな割合になることが明らかになりました。

という見解が述べられている。《「できる」と「わかる」の乖離》というのは抽象的過ぎて私にはどういう意味か一概には言えませんが、「重要な特徴を、文章で3つ答えてください」という質問形式にすることが、「二次関数のイメージが根本からずれてしまっている層や、自分が受けた印象と客観的であるべき特徴との違いを認識できていない層が存在し、またそれが無視できないほど大きな割合になること」を示すために必要不可欠なものであったのかどうか疑問が残る。しかもあえて付け加えるなら、この問題に対して、「報告書の概要版」p.5であげられたような「重篤な誤答」を書いた回答者が、「x軸やy軸との交点を求める、頂点の座標を求める」といった計算ができる層なのかも判然としない。

端的に、「この放物線の概形を描いてください。」と質問するのよりも、「どのような放物線でしょうか。重要な特徴を、文章で3つ答えてください」と質問する方が調査の目的により合致しているとは到底思えないのである。「重要な特徴を、文章で」などといわれるほうがよほどまごつく。「文章」と「式」や「描図」とにはギャップがあるかもしれないからだ。

  • 問3は、問題の選択に無理があった。

 私は作図の問題が重要ではないというつもりはない。しかし、この問題が「高等教育を受ける前提となる数学的素養と論理力を大学生がどの程度身につけているのか、その実態を把握」するという目的に合致しているとは思いにくい。内容がやはりマイナーだからだ。これ以外にも問うべき話題はいくらでもあるはずだ。加えて、この問題はやり方を知らない学生が10分の回答時間で一からやり方を考えるのはかなり困難だという点もあげられる。知ってるか知らないかという知識をあまりに真正面から問いすぎなのではなかろうか。
 そもそも「定規とコンパスを用いて作図する」という場合、「定規」というのは「目盛りのない定規」のことなのだというのは、一種のテクニカルタームに過ぎない。FAQのp.3のQ12で「コンパスと目盛りのない定規を用いて作図」とするべきだったのではないかという質問に、「本調査は、成績や進路に関係するものではありません。ですから、設問の妥当性は調査目的に合致しているかどうかによって判断されるべきだと考えます。」といういささか官僚的な表現を繰り返した上で、

今回の調査では、白紙をなるべく減らし、学生が持っている誤概念を浮かび上がらせるために、あえてこのような表現をとりました。これにより、国立の偏差値上位群では実測して3等分するという解答は非常に少ないのに、私立や国立の偏差値下位群では「実測派」がかなりの人数に上るという実態が明らかになりました。

と述べている。すくなくともそれで「白紙」が減ったのかどうかは検証しようがない。「誤概念を浮かび上がらせる」というのは、「定規とコンパスで」といわれたとき、「定規には目盛りはないのだ」と理解出来ていない人をはっきりさせるためということだろうか。それが、「高等教育を受ける前提となる数学的素養と論理力を大学生がどの程度身につけているのか、その実態を把握」するという目的に合致しているというのだろうか。しかも「実態が明らかになりました」といってもそれは結果論に過ぎない。

  • 問3の正答例は不足箇所があり十全とは言えない。

正答例では「コンパスと定規を使って、点Dを通り線分BEに平行な直線を引く」方法が何も述べられていない。これは、ステップ4にある「定規を使って点Bと点Eを結ぶ」よりもはるかに非自明な操作であり、ここに何も説明を述べないことが「正答例」として容認されるとは思えない。「報告書の概要版」p.6では、「作図方法を過不足なく表現した回答は稀であった。」と評価しているが、そもそも正答例にさえ「不足部分」があると私は考える。

また、これは回答時間との関係もあるのだが、FAQのp.2でQ7への答えとして

ステージ3(3)は、解答を思いつくのに時間がかかり、そのため手順を箇条書きに書くまでに至らなかったと見られる答案がかなりありました。このような答案は準正答と判定しました。

というものがある。しかし、これもどのレベルが「準正答」と判断されたのか非常に紛らわしい。平行な直線を引くことについて十分な説明がなくても「準正答」と判断された可能性も否定できない。


(この記事は公開後も必要に応じて加筆する可能性がある。)