日本数学会による大学生数学基本調査への疑問(その5)─報道とのギャップや関連コメントなど─

  • ゆとり教育世代」と今回の調査結果の関係が不明確である。

今回の「大学生数学基本調査」は複数の報道機関で報じられ、その多くが「ゆとり教育世代」と「学力低下」を結びつける内容のものであり、また情報を受け取る側も、「ゆとり教育世代」の「学力低下」の一例であると見た人が多かったと感じられる。

しかし、今回の「大学生数学基本調査」の文面をよく眺めると、厳密には、「ゆとり教育世代」であることと「学力低下」を明示的に結びつける文言はない。FAQp.3のQ.13に「この調査を受けた大学生は、いわゆる『ゆとり世代』です。」という表現がある程度である。むしろ提言p.1にあるように、

  • 1996年に大学教員を対象とする「大学基礎教育アンケート調査」を実施しました。この調査によって、1.読解・表現など国語力、2.抽象的・論理的思考力、3.知識に対する意欲や忍耐力といった、ごく基本的な能力が学生の間で低下しつつあるという現実が浮き彫りにされました。
  • ここ数年に至っては多くの会員から、「入学試験や1年生の期末試験における数学の答案にまったく意味の通じないものが増え、どう対処したらよいか当惑している」という声が寄せられています。教育委員会メンバーがさまざまな大学の教員から意見を集めたところ、論理的文章を理解する力、論理を組み立て表現する力が学生から失われつつあるのではないか、との危惧が教育現場に広がっていることがわかり、今回「大学生数学基本調査」を実施することとなりました。

という文章がある。ここでは「ゆとり教育世代」ということに必ずしも限定されない「学力低下」が問題とされていることに注意したい。

つまり、報道側や報道の受け手側は、この問題が「ゆとり教育世代の学力低下問題」であるとカテゴライズしている一方で、提言や報告書概要版の中では、必ずしも「ゆとり教育世代」との因果関係を明示してはいないというギャップが存在する。

しかし、例えば、産経ニュースにあるように

日本数学会理事長の宮岡洋一東大教授は「ゆとり教育と入試制度が学力低下に拍車をかけた。数学は科学技術を支える基盤であり、数学で育まれる論理力は国際交渉でも不可欠だ」と話している。

というのが事実であるとすれば、「ゆとり教育」と今回の調査結果との因果関係に言及していることになる。調査の評価を述べる際には、「ゆとり教育世代」ということと今回の調査結果の関係をどこまで言及できるのか、またするべきなのか丁寧に説明するべきだし、もし報道側や報道の受け手側に十分伝わっていないと考えるのであれば、少なくとも再度のコメントを出すべきであると考える。

 ところが、この問題はこれだけに留まらない。今回の調査に関係している新井紀子氏は、2/24のツイッターで次のように述べているのである。

調査をした私たちは誰も「大学生がわるい」とは思ってません。し、数学の時間を増やせば解決できるとも思ってない。これは複合汚染みたいなものだから。理由が「ゆとり」だとも思ってない。でも、調査してみないと出発できないところがあった。そゆこと。

この発言には様々な問題点があると考える。

 まず第一に、「調査をした私たち」という主語の範囲が不明確である点が挙げられる。例えば、日本数学会は、社団法人日本数学会の名前で「『大学生数学基本調査』に基づく数学教育への提言」を発表し、その冒頭で、

日本数学会、2011年4月から7月にかけて全国の大学生約6000人を対象に、テスト形式の「大学生数学基本調査」を行いました。

と明確に述べているのである。実施主体は、「日本数学会」である。とすれば、新井氏の発言にある「調査をした私たち」とは日本数学会のことなのか。それとも調査そのものを主導したと思われる「日本数学会教育委員会」のことなのか。
新井氏は、「調査をした私たちは誰も」と述べているのである。「誰も」とは「すべてのメンバーが」という意味でしかありえない。とするならば、その「すべて」がどの範囲なのかを明示しない限り意味を持たない。
そして、もし上で引用した「日本数学会理事長の宮岡洋一東大教授は『ゆとり教育と入試制度が学力低下に拍車をかけた。数学は科学技術を支える基盤であり、数学で育まれる論理力は国際交渉でも不可欠だ』と話している。」が事実だとすると、宮岡氏は、「ゆとり教育」が「学力低下」の一因であると述べていることになる。「理由が『ゆとり』だとも思ってない。」という新井氏の発言と完全に矛盾しているのである。

ゆとり教育世代」ということと今回の調査結果との因果関係についてどのように考えるのかはっきりしないのに、またはっきりさせることができていないのに、「ゆとり教育と入試制度が学力低下に拍車をかけた。」と発言するのは拙いし、そうした意思統一が十分ではないにも関わらず「調査をした私たちは誰も・・・理由が「ゆとり」だとも思ってない。」などと発言するのは非常に拙いと考える。

 第二に、新井氏の発言で問題なのは「数学の時間を増やせば解決できるとも思ってない。」という部分だ。日本数学会は社団法人日本数学会の名前で「『大学生数学基本調査』に基づく数学教育への提言」を発表し、その中で、

基本調査によって明らかとなった問題点を踏まえ、日本数学会は以下の提言をいたします。
中等教育機関に対して:充実した数学教育を通じ論理性を育む。証明問題を解かせる等の方法により、論理の通った文章を書く訓練を行う。
大学に対して:数学の入試問題は出来る限り記述式にする。1年次2年次の数学教育において、思考整理と論理的記述を学生に体得させる。

と述べているのである。これは明らかに「数学教育」の「充実」を求める内容になっている。「充実」の中には「数学の時間を増やすべきだ」という主張が全く含まれていないと考えるのは無理がある。例えば、報告書概要版の中でも文学系や学際系などで結果が思わしくないことが強調されている。日本数学会の提言の中には、やはり文理の枠を問わず、有る程度広範なレベルで数学教育を施すべきであるという主張が含まれているのではないか。そうした「提言」の内容と、新井氏の発言「数学の時間を増やせば解決できるとも思ってない。」の間には明確なズレがあると考える。このような発言は決して望ましいものとはいえない。

 第三に、「『大学生がわるい』とは思ってません。」という発言の意味が不明確だということである。「大学生がわるい」ということの意味が判然としない。新井氏が今回の調査に対するどのような反応を想定して「そうは思っていません」と発言したのかがわからないのである。例えば「大学生がわるい」というのは、「大学生の学力がわるい」という意味だろうか。まさか「論理的コミュニケーションの前提が崩壊している答案が増えた」とコメントしている当の新井氏が、「大学生の学力がわるい」とは思ってませんなどというつもりはないだろう。だとすれば、「大学生がわるい」というのは、「論理的コミュニケーションができないのは当の大学生自身の責任だ」という議論を想定して「そうは思ってません」と言っているのだろうか。しかし報道側は、「ゆとり教育世代の学力低下」を論じる際、当の大学生個人の責任を云々するよりも、「学習指導要領」などの外形的要因を主として批判しているわけだから、このような議論を想定しているというのも少しポイントがズレているように感じられる。要するによくわからないのである。

 第四に、「複合汚染のみたいなもの」という単語の選び方の拙さがある。大学生は何かに「汚染」されているのだろうか。「清浄」な誰かと「汚染」された誰かがいるとでも言うのだろうか。自分達は「清浄」で、今の大学生たちが「汚染」されているというのだろうか。どうして「汚染」という言葉遣いになってしまうのか、私には到底納得が出来ない。おそらく「複合的な要因が絡んでいる」と言いたいのだろう。ならどうしてそう書けないのだろうか。こういう書き方は極めて不適切であり、「複合汚染みたいなもの」という感覚が調査側に共有されてるとすれば考えを改めた方が良いと考える。新井氏はこの表現を撤回するべきだ。