北川智子『ハーバード白熱日本史教室』への疑問(その1)

『ハーバード白熱日本史教室』(北川智子:新潮選書469)

ハーバード大学東アジア学部で日本史のクラスを担当するレクチャラーである北川氏の著作である。なるべく感情を抑えて客観的に書くと、ハーバード大学の風景、筆者北川氏の来歴や歴史観、北川氏の講義「Lady Samurai」と「KYOTO」の実況中継という3つの内容から構成されていると言ってよい。それを海外で活躍する日本人女性の紹介と好意的に見ることはもちろん可能だと思う。しかし、残念ながらこの内容では、筆者北川氏の自慢話しか書かれていないという反応が返ってくるのはやむをえないことのように思う。数学・生命科学・日本史どれにも造詣があり、ピアノ・お絵かき・スケートという趣味を講義に活かし、受講者は初年度の16人から、140人、251人と増え、スタンディング・オベーションが20秒も続き、学生からの講義の評価「キュー」ですばらしい点数を叩き出し、すべてのハウスに招待され、「ティーチング・アワード」、「ベスト・ドレッサー」賞や「思い出に残る教授」賞をもらった経歴。そういうことが本書のあらゆる部分にちりばめられている。こういう部分を読んで、「自慢話はいいかげんうんざりだから、内容的なものをもっと書いてよ」と思うのは、単に私が嫉妬深い性格だからだというだけではないと感じる。そう思うのも、講義の実況中継で語られる中身が驚くほど粗雑に映るからだ。

第5章には次のような記述がある。

「『Lady Samurai』のような大きな物語。」
「『KYOTO』のような、大きなプロジェクト。」
「歴史は、時代にあわせて書き換えられます。「ザ・サムライ」から「Lady Samurai」へ。何度も繰り返しますが、日本の独自性、そのなかでも特にサムライを前面に押し出す歴史叙述は、世界基準からして相当な時代遅れになっています。だからこそ今、新しい日本史を組み立てることが必要になっているのです。その使命の一端をになっているのが「Lady Samurai」のクラスなのです。
着任からわずか3年で、ハーバード大学で日本史を学びたいという人の数はぐんと増えました。私が提案する「Lady Samurai」という新しい日本史の語り方も、「KYOTO」という古都の勉強法も、どちらもサムライの魅力が届かないエリアにあって、かつ日本人以外の人に日本の良い面に新しく気づいてもらえる素敵なトピックです。ハーバード大学の学生たちがつくっているラジオ番組も、映画も、4D映画も、どれも新しい日本史です。コミュニケーション手段の変化に、歴史学もついていけるように進化をとげ、歴史の授業も変わっていかなくてはなりません。こうした手法がもっと急速に発展していくべきだとも思います。」


北川氏の鼻息は荒い。しかし、その内容には問題があると私は思う。本書で語られる北川氏の歴史観や講義の内容の問題点を、私の主観をこめて整理すると次のようになると思う。

1.「Lady Samurai」という概念を具体的な資料や人物に即して議論する部分でも、日本の女性の姿一般を論じる場合でも、根拠記述の薄弱さが付きまとうこと。(その2)

2.「KYOTO」という講義の設計が、率直に言って学問的なものであると見えないこと。(その3)

3.北川氏の言う「印象派歴史学」なるものの定式化が曖昧で、暴論にしか見えないこと。また、北川氏の言う「大きな物語」へのコミットの仕方があまりに無原則であること。(その4)

以下、これらの点について具体的な記述を見ながら述べたいと思う。