科学ジャーナリスト・内村直之氏による前京大総長・松本紘批判への疑問(その2)

(その1)でみた科学ジャーナリスト・内村直之氏による松本批判のツイート群について検討したい。今回は「総長選挙」に関する点について扱う。

総長選の内部事情とそれに対する重大なミス

この節で私が指摘したい論点は以下の通りである。

  • 各研究科の投票行動について、公けにすることについて慎重に検討したのか。
  • 経済学研究科の投票行動についての重大なミス。
  • 総長選挙における「対立候補」の行動を暴露することの是非。
  • 総長選挙の実態を松本批判へ結びつける文面の不適切性。

内村氏は、2008年に行われた京大総長選挙について、上のツイート群の中でまず次のように述べている。

理事の時に、たまたま山中先生のIPS細胞発見に出会い、文科省とつるんで盛り上げただけ。それをよしとする工学、経済の押しで総長に。理、医などの猛反対は彼の押しに嫌気をさしたから。

これに対して、京都大学経済学研究科の依田高典氏が次のように指摘した。

事実誤認だけを正すとあの時は経済系は研究科長の判断を踏まえ対立候補の方に入れました。ただしその対立候補が全く総長をやりたい意志を持たなかったのでどうにもならなかった。

それに対する内村氏のツイートが

  • 経済はそうでしたか。訂正します。そうですね。対立候補はレポートを白紙で出し、当日は海外でした。残念。
  • 依田先生から前々回の京大総長選での、間違いを指摘していただきました。経済学研究科は対立候補を押されたとのことでした。かなり学内で割れた総長選であったことは確かだと思います。

というものであった。驚くべきことに、内村氏はこのツイートの後に、次のように述べているのである。(色付け強調は私による。)

あの総長選の夜、僕は某先生と出町柳のビストロで痛飲していたのです。内部事情を全部聞いていました。

もちろん選挙であるから、誰が、あるいはどの部局がどいういう投票行動をとろうと決めるかにあたって、いろいろな争いはあるだろうし、多数派工作も行われるだろう。選挙である以上それは当然だ。
しかし、どの部局がどういう投票行動を取ったかは、本来公けにするべきものであるのかどうか、相当に慎重に判断するべきであると思う。そういう情報にどれだけの公益性があるのか、少なくとも私は疑問である。
内村氏の最初のツイート「工学、経済の押しで総長に。理、医などの猛反対は彼の押しに嫌気をさしたから。」という文面が、この「公益性」の観点を、果たしてどれだけ吟味した上でなされたものなのか、
内村氏は十分に説明する責任があると考える。

必ずしも松本氏の選出に賛成する人たちばかりでなかったことは、京大自身が公開している「京大広報」2008年6月号を見ることでわかる。
第1次選考者6名のうち2名に絞り込まれた第2次選考で、松本氏と成宮周氏(医学研究科)への投票結果は829対605であった。このような情報に一定の公益性があることは認める。しかしそこから一歩踏み込んだ投票行動についての内部情報を公開することについて丁寧な検討が必要だったはずだ。

しかもあろうことか、内村氏は経済学研究科の投票行動について、誤った情報を公けにしてしまったのである。そもそも公開するべきかどうか慎重に判断するべき内部情報を公開したうえに、そこに重大なミスを犯したのである。
しかも、「経済はそうでしたか。訂正します。」という文章から判断する限り、内村氏は、経済学研究科の投票行動について、そもそも正しい情報を記憶していたのではなく、今回指摘されて初めてミスに気が付いたと考えざるを得ない。

そのような「記憶違い」を犯してしまった人物が、十分な謝罪もないままに、「内部情報を全部聞いていました」などとツイートすることは、まったく驚くべきことであると言わざるを得ない。開いた口が塞がらない。
このような重大な点に「記憶違い」があるということは、総長選挙に関する内村氏のコメント全体の信頼性を著しく毀損することは言うまでもない。この点に関して内村氏は十分な説明や謝罪が必要であると考える。
内村氏のツイートの中に、訂正はあっても謝罪は一言も含まれていないことに注意を喚起しておきたい。

さらに言えば、
依田氏のツイート「経済系は研究科長の判断を踏まえ対立候補の方に入れました。ただしその対立候補が全く総長をやりたい意志を持たなかったのでどうにもならなかった。」は、事実の訂正と相当に抑制された内容になっている。
内村氏の「記憶違い」という誤った情報を放置することは許されない以上、何らかの訂正は必要であることは十分に理解できる。

本来、総長選挙は、各教員が自分の意志で投票行動を行うものであるから、経済系として決めた方向性ですべての教員が投票したかどうかはわからない。
「経済系は研究科長の判断を踏まえ対立候補の方に入れました。」という文面からだと、対立候補以外に入れた経済系の教員が全くいないように読め、実際そうなのかもしれない。
ただそれが事実かどうかは読み手は確かめられないし、もし松本氏に投票した教員がいたとすると、このような書きぶりが適切かどうか疑問である。
この記述も確認できない内部情報を持っており、検証が難しい内容になっている。もちろんこの記述が事実なら、このような訂正をしなければならない以上、適切なものと言えるであろう。

もともと内村氏のツイートがなければ、このようなツイートをする必要は生じなかったのであり、その点からも内村氏のツイートが不適切であることは明白だ。

後段の「その対立候補が全く総長をやりたい意志を持たなかったのでどうにもならなかった」という部分が本当に必要であるかどうか、私は少なくとも態度を留保したいと思う。

というのも「対立候補」というのがどの人物を指すのか明確ではなく、しかも誰であるかを明示するべき「公益性」を持つかどうか疑問だからだ。
この文面と京大広報の記述を見ると、その対立候補が第2次選考で対立候補となった成宮氏であると読めてしまう。しかし実際には、第1次選考通過者6名の中の誰かのことを指しているのかもしれない。
どの読み方が正しいのか読み手は非常に確認しにくい。依田氏はこうした点について十分に検討した上でコメントしたのかどうか、私には判断できない。しかし抑制された記述であると私は感じた。

翻って内村氏のツイートに戻ると、あろうことか、内村氏の発言はさらにエスカレートしている。

対立候補はレポートを白紙で出し、当日は海外でした。残念。

依田氏の発言の中にある「対立候補」がだれを指すのかははっきりしないことを指摘した。第1次選考者の中にいた人がやる気を見せずに辞退したのかもしれないし、実際のことはわからない。
しかし、内村氏は、その曖昧さを無視し、対立候補」が具体的にどのような行動を取ったかを暴露してしまったのである。
総長選挙においてこのようなことが起きていたことを報じることにいったいどれだけの公益性があるだろうか。
すでに述べたように、私は内村氏の「記憶違い」は重大であり、この内村氏の暴露に対する信頼性はそうとう危ういと感じる。
また、少なくとも私は、依田氏と内村氏のやりとりに出てくる「対立候補」は成宮氏であると読むのが自然であると思う。しかし、それが事実であるのか、もし事実でないとすれば、これは名誉を傷つけかねない。
仮に事実だとしてもこのようなことを公表することの公益性に疑問があり、対立候補の名誉を傷つけているのではないかという疑念はぬぐい難い。
依田氏の訂正コメントはぎりぎり許容できる範囲であると感じるが、内村氏のこれらのツイートは到底看過できないたぐいのものである。

もう一つ指摘したいことは、そもそも総長になる意志を持たず「レポートを白紙で出し、当日は海外」というような人物が候補者になっているような総長選挙の実態を、

工学、経済の押しで総長に。理、医などの猛反対は彼の押しに嫌気をさしたから。

などとまとめるのは全く不適切なのではないかということだ。そもそもやる意志のない人間とやる意志を持つ人間が競う状況は選挙として無意味で、そのことの責任を「彼の押しに嫌気」などと松本氏を批判することに利用するのは批判の矛先がまったく見当はずれであると言わざるを得ない。そもそも選挙の構図がおかしいのではないかと感じる。

そして最後にもう一つ付け加えたい。

あの総長選の夜、僕は某先生と出町柳のビストロで痛飲していたのです。内部事情を全部聞いていました。そして、その方も数年してすい臓がんであっという間にこの世を去られてしまいました。

という記述である。内村氏が、上記のような重大なミスを犯し、内部情報についての記憶違いを犯したしまったあとに、このようなツイートをしてしまうと、この「某先生」からの内部情報がそもそも正確なものであったのかどうかさえ疑問が出てきてしまう。
内部情報の出どころについて記述し、しかも内村氏の記述した内部情報に誤りがあるということは、内村氏が「某先生」からの内部情報を適切に記憶できなかったのか、「某先生」の情報が不正確だったのか、判断できないからだ。「某先生」がなくなられている以上、このことは、「某先生」の名誉も傷つけてしまっていることに内村氏はもっと思いを致すべきだ。ジャーナリストであるはずの内村氏が、内部情報を公開することの危うさについて、あまり慎重に検討したとは思えないような書きぶりやミスを犯すことに正直驚いている。