科学ジャーナリスト・内村直之氏による前京大総長・松本紘批判への疑問(その3)

(その1)でみた科学ジャーナリスト・内村直之氏による松本批判のツイート群について検討したい。
前回の(その2)では、総長選挙の内部情報に関する点について批判した。今回は「業績」に関する点について扱う。

内村氏の松本氏の業績や知見に関する評価は非常に手厳しい。

  • 彼には科学技術的業績は何もない。理事の時に、たまたま山中先生のIPS細胞発見に出会い、文科省とつるんで盛り上げただけ。
  • 松本さんには学問に対する真摯な姿勢がみられません。
  • あの人は科学がわかっている人ではないです。
  • 特に基礎的な学問については無知です。

これらの記述は相当に踏み込んだものであることは言うまでもない。「科学技術的業績は何もない」「学問に対する真摯な姿勢がみられない」「科学がわかっているという人ではない」「基礎的な学問については無知」という文面は、学者として失格であるという烙印を押しているとも受け取れる最大級の批判だ。このような批判をするためには、第三者にもアクセスできる十分な根拠を明示するべきであり、もしそれがない/できないのなら、単なる人格攻撃とみなさざるを得ないし、この文面は不適切極まりないということになる。

もちろん私は松本氏が「業績がある」「学問に対する真摯な姿勢がある」「科学が分かっている」「基礎的な学問に熟知している」ということを具体的な業績紹介でもって根拠づけられるだけの情報や知見を有しているわけではないし、また松本氏の専門分野についての知見も活動履歴もない。

しかし、松本氏の学問的業績について、いくつかの第三者がアクセスできるデータや情報があることは明示できる。

松本氏の業績について第三者がアクセスできる情報

例えば京都大学が公開している次のようなページがある。
松本紘総長の略歴

まず、松本氏は工学博士である。博士号を持っている以上、少なくとも「博士号を授与されるに値する学問的価値を持つ論文という業績」は必ずあるはずだ。

次に、例えばwikipediaには次のような記述がある。

主に地球磁気圏・宇宙圏のプラズマを研究している。数値計算分野では、KEMPOコード (Kyoto university ElectroMagnetic Particle code) を開発し、宇宙プラズマの力学過程を再現することに成功した。観測分野では、GEOTAIL衛星によるプラズマ波動観測を主導し、数値計算と組み合わせて静電孤立波の励起メカニズムなどの解明を進めている。また、宇宙空間におけるマイクロ波送電技術の実用化という工学的研究にも取り組んでいる。

少なくともこの記述の中に、複数の科学技術に関する成果が具体的に記述されている。これらは少なくとも「業績」と呼びうるものであると理解できる。

略歴の中には、

  • 地球電磁気・地球惑星圏学会(SGEPSS) 会長(1999〜2001年)、評議員 (1995〜2006年)
  • 国際電波科学連合(URSI) 会長(1999〜2002年)、副会長 (1996〜1999年)
  • 米国地球物理学会(AGU) 学術誌(J. Geophys. Research*1編集委員長 (1997〜2002年)

などの記述がある。

また、

  • 松本氏を(筆頭)著者(共著者7名)とする学術論文"Electrostatic Solitary Waves (ESW) in the Magnetotail : BEN Wave forms observed by GEOTAIL"(Geophysical Research Letters, 21, 2915-2918, 1994)は、少なくともGoogle Scholarで見る限り、332件の引用がある。
  • X.H.Deng氏と松本氏の2名による共著論文"Rapid magnetic reconnection in the Earth's magnetosphere mediated by whistler waves"(Nature, 410, 557-560, 2001)も、少なくともGoogle Scholarで見る限り、172件の引用がある。
  • 英文研究論文誌約303編、邦文研究論文誌53編との記載がある。

このページを見るだけで、少なくとも確認できるさまざまな情報があるのである。
もちろん上で書いたことは、研究の内容についての具体的な業績紹介を伴わない以上、あくまでも傍証に過ぎない。
またノーベル賞受賞者との比較が可能かどうかも不明だし、また当該分野で(仮に比較が可能だとして)トップの業績を上げているかどうか、というような点もこの情報だけではわからない。また他分野に対する理解についてもわからない。

しかし、内村氏の記述は全面的かつ包括的なものであることを忘れるわけにはいかない。

工学博士号を持ち、国内学会や国際的学術団体の長でもあった経験を持ち、学術誌の編集委員長を務め、執筆論文に一定の引用数があるものがあり、やnatureに掲載論文を持つ人物。
そのような人物が「科学技術的業績は何もない」「学問に対する真摯な姿勢がみられない」「科学がわかっているという人ではない」「基礎的な学問については無知」なのだとしたら、それはそれは深刻だ。
というより、すぐに調べられる範囲でこのような経歴を持つ人物に対して、
「科学技術的業績は何もない」「学問に対する真摯な姿勢がみられない」「科学がわかっているという人ではない」「基礎的な学問については無知」
という批判を浴びせるとしたら、そこには相当に客観的な、しかも業績の内容に踏み込んだ形の具体的な根拠づけが必要不可欠であり、
それは批判を浴びせた内村氏に挙証責任が生じることは言うまでもない。もしそれができないならこのような発言は取り消すべきだし、不当な誹謗中傷・人格攻撃であるとの誹りを免れることはできない。

内村氏のツイートの個別的検討

松本前京大総長が理研理事長案と。いかにも文科省のやりそうなこと。最悪だ。彼には科学技術的業績は何もない。理事の時に、たまたま山中先生のIPS細胞発見に出会い、文科省とつるんで盛り上げただけ。それをよしとする工学、経済の押しで総長に。理、医などの猛反対は彼の押しに嫌気をさしたから。

この文面を読む限り、内村氏が「科学技術的業績は何もない」と判断した根拠は全く不明だ。文科省とつるんで盛り上げただけ」ということと「科学技術的業績」との関係性が全く見えない。少なくとも、松本氏の「科学技術的業績の有無」と「iPS」は、松本氏の学術的専門分野がiPSと無関係な以上、まったく関係ないと言わざるを得ない。それとも内村氏の言う「科学技術的業績」とは「学術研究者としての当該分野での研究業績」とは違うものなのだろうか?

少なくとも内村氏の一連のツイートには、松本氏の「学術研究者としての当該分野での研究業績」というものに関係すると思われるコメントは一切ない。まさか、理事・副学長、あるいは学長としての何らかの意味での「成果」のことを「科学技術的業績」と書いているのだろうか?そんな言葉の選択をすることは、少なくとも私には到底信じがたいことだけれども。

  • 松本さんには学問に対する真摯な姿勢がみられません。
  • あの人は科学がわかっている人ではないです。
  • 特に基礎的な学問については無知です。

ということに対する根拠も曖昧だ。

内村氏は、少なくとも2つのエピソードを述べている。iPSと小林・益川のノーベル賞受賞時に関することだ。

  • 私は新聞社の最後の方で、京都の科学担当を3年勤めた。その時の総長が尾池さんと松本さん。やり口は存じています。ただただIPSを盛り上げるという限られた成功体験で、他も推し進めようという方向。
  • 例えば、iPS細胞にお金を注ぎ込みすぎることの欠点について(若手の問題も含め)質問したことがありますが、その時は的確な答えは返ってこなかった。
  • 小林益川両先生のノーベル物理学賞のとき、横にいた基礎物理学研究所の某先生のところへ、スピーチ助けてと、松本さんから連絡が入った。その時、彼が用意していたのは山中先生礼賛原稿だけ。自分の業績と思っていらした?これをモデルにして明日のを作れと言ったと聞いたと思う。僕しか知らない話。

このエピソードが何を補強/論証するためのエピソードとして出されたものか、理解に苦しむ。「学問に対する真摯な姿勢がない」「科学が分かっていない」「基礎的な学問について無知」という批判を行うならもっとはっきりとした根拠を明示するべきだ。

iPS細胞に関する点について、
私は(その1)の冒頭で、山中氏の研究に対して奈良先端科学技術大学院大学が果たした役割についてもっと言及と敬意を示した方が良いと感じた、という印象をのべた。また、iPS細胞研究に国の支援が集中しすぎて、ES細胞研究やそのほかの研究への投資が減らされてしまうことの弊害は、もちろん重要な論点であることは確かだろう。
その反面で、iPS細胞の問題は、知的財産権との関係性を無視することはできず、大学としてのバックアップを必要としていたことは否めない。私も京都大学の(あるいは松本氏主導の)iPS細胞研究支援を仄聞して、少し前のめりになっているのではないか、失敗した場合のリスクはかなりあるのではないかと危惧を持ったこともある。しかし、たとえば松本氏の著書には、

 iPS細胞技術を一刻も早く普及させ、患者さんに届けるため、知的財産(知財)を適正な価格で広く世界に利用してもらうしくみ作りに取組、これを実現しました。
 誰かが特許を占有し、高額な知財料を取ってしまえば、iPS細胞を使った治療が受けられるのは一部の富裕層で、一般の人はその恩恵に浴せません。それを避けるには、大学が知財をきちんと管理、活用できるしくみが必要です。
 しかし、そのための事業会社を大学が直接設立することは法律で禁じられています。そこで、京都大学は、法律で認められた中間法人を活用することにしました。二〇〇八年五月、京大がガバナンス(管理、統治)する「中間法人iPSホールディングス」を設立、この中間法人の100%子会社として翌六月、「iPSアカデミアジャパン株式会社」を設立したのです。このようなしくみに先例はなく、すべてゼロからの構築でした。
 同社は設立以来、iPS細胞関連の知財を国内外で幅広くライセンス契約する活動などを行ってきました。(中略)成果は着実にあがっており、これまでに国内大手製薬会社を含む80社を超える国内外企業との間で、ライセンス契約を締結しています。
 松本紘『京都から大学を変える』(祥伝社新書2014年 p.216-217)

もちろんこうしたことは松本氏個人の成果ではなく、多くの人々の努力によるものであるが、京都大学という学問的にも規模的にも十分な人的余裕がある大学が支援したことで、
これらの成果が得られたという側面はあると考えられるし、少なくとも松本氏が関与する形でのiPS細胞研究支援の一定の成果であるとみることはできるはずだ。

少なくともiPS細胞研究支援で、松本氏に何の成果もないかのような断定は一面的すぎるし、「文科省とつるんで盛り上げただけ」という文章は妥当性を欠くと考える。

またiPS細胞研究に前のめり過ぎるのではないかという懸念は当然妥当なものではあるだろうが、それが松本氏の総長としての権能の範囲内でどうにかなる問題であったかどうかも議論の余地があると思われる。
さらに、若手研究者のキャリア問題は、iPS細胞研究だけに限る話ではなく、広く日本の若手研究者全体にかかわる問題点で、これも松本氏の権能の範囲からは外れる部分も大きいと思われる。
つまり、国全体の科学技術支援政策という話題の中でのiPS細胞研究への偏重や若手研究者のキャリアという問題が議論するべき重要な論点であることには同意できるが、
それを京大総長としての松本氏に問題提起しても、松本氏から有意味で実効性のある解答が期待できるとは思わないし、またそういう解答をしないことを批判されるべきかどうかもかなり疑わしい。

大学にも経営的観点を導入せよという国家的な/社会的な要請は名強いものがあり、それにどこまで従うか/抗うかは、もちろん個々人の見識と意志にかかっているわけで、
そういう国家的/社会的要請に唯々諾々と従うのはけしからんという批判はもちろんあってよいが、それは学内の議論として、だれを選ぶか/どういう方針を取るかという決定の場で議論になることは有意義だけれど、
学外の人間が総長を批判する文脈ではあまり建設的とは思えない。
国家や社会がある程度政策的な観点から大学に対して様々なハードルを課してくる以上、日本の大学の2トップである京都大学は何らかのアクションは起こさざるを得ず、
背を向けるか、半身で受けるか、むしろ先導するかは、正解が確定する問題ではない。松本氏が「積極的に乗っかっる」ことを選択したことを批判し、今後の検証を行うことはひとまずありうるし、妥当なことだが、
どんな大学でもトップはある程度反対を覚悟で苦渋の決断を迫られる苦しさは抱えていると思う。トップが理不尽なことをすると憤りを覚える大学関係者も多いことは確かだし、その憤りにも理はあるが、
学外者はその批判に丸ごと乗っかって大学のトップを批判するのではなく、むしろ国家や社会を相手に堂々と論陣を張るべきではなかろうか。
ましてやそうしたことと「学問に対する真摯な姿勢がない」とか「科学が分かっていない」とか「基礎的な学問に無知」という判断を下すこととの関係性・妥当性は薄い。
iPSに関しては、知財管理は、高額な特許料が学問的研究の足かせとなることを防ぐ観点もあることを忘れてはならない。

小林・益川のノーベル賞受賞に関するエピソードもどういうことが補強/論証されているのかあいまいだ。

小林・益川両氏の業績を紹介するスピーチの原稿についてhelpを頼むことは「学問に対する真摯な姿勢がない」とか「科学が分かっていない」とか「基礎的な学問に無知」という判断の根拠になるとは思えない。
自分の専門とする学術領域から離れた内容について、自分だけで十分に内容のある正確な業績紹介やスピーチを書くことはかなり難しい。学内に精通している人がいるのであればその人にhelpを頼むことに何の問題もない。
では、「山中先生礼賛原稿」をモデルとして示したことが問題なのか。それは「山中先生礼賛原稿」がいったいどういう中身だったのかを見ないと結論を下すことはできないが、
そもそもそのことと「基礎的な学問に無知」ということとはずいぶん話が違うと、少なくとも私は考える。

少し細かい点だが、

  • 彼が用意していたのは山中先生礼賛原稿だけ。自分の業績と思っていらした?

などというのも嫌味だし、

  • 僕しか知らない話

というのも根拠不明だ。内村氏の持っているのは基礎物理学研究所の「某先生」からの伝聞情報であり、「某先生」が別の人にもその話をしていれば、内村氏以外にもこの話を知っている人がいることになる。そういう人はいないと断言できるのだろうか?
またもし仮にそうだとすると、(その2)で指摘した信頼性の問題が生じる。内部情報の核心的な部分のひとつに重大な「記憶違い」を犯した人が、「僕しか知らない話」として述べる内部情報・伝聞情報には、十分な正確さが本当にあるのか疑問が生じるのである。

基礎科学について

最後にひとつ付言しておきたいことは、松本氏は必ずしも「基礎科学」というものを軽視しているとは限らないという点である。これは教養教育改革という松本氏の方針とも関係していることは言うまでもない。
少し長いが前掲書から一部を引用する。

新たな価値創造ができる人材の要件とは何でしょうか。
それは、幅広い知識や経験がある、ということです。想像力は、知識や経験の組み合わせです。知識や経験もないのに、想像力を発揮しなさいと言っても無理です。幅広い知識や経験こそ独創的ないアイデアの源泉であり、それがなければ、斬新な発想は出てきません。
逆に言えば、知識や経験が多いほど想像力は豊かになり、アイデアも膨らみます。高校時代には受験科目でなくそれ以外の科目も幅広く勉強してください、と繰り返し述べているのはそのためです。幅広い学びが豊かな発想、アイデアを生むのです。スポーツや部活動、ボランティアなど勉強以外の経験も大切です。そうして知識や経験の土台をしっかり作る、これが新たな価値創造ができる人材の大前提です。
大学入学後は、その土台の上により広く、より深い教養の森を育てていきます。この森が豊であればあるほど、その先の専門分野でも独創的な研究ができます。
現代社会は、急速な科学の進歩により、生命科学からナノテクノロジーまで学問の多様化、専門化が進んでいます。研究開発で国際競争に勝つには、最先端の学術研究が不可欠です。その最先端の研究を支えているのは基礎研究です。学問というのは、基礎や基本、本質が極めて重要で、これがしっかりしていなければ、最先端の研究でのブレークスルーもありません。だからこそ、まえにも述べたように、物事の本質を把握するように努める「務本の学」、すなわち大元の基本原則、学理、学究が大事になるのです。
それを支えるにのは、今でもなく豊かな教養の森です。最近はアリストテレスパスカル、カント、孔子孟子など古典的な哲学や思想を学ばせる企業が増えていると聞きます。それだけビジネスの世界も複雑になっており、道標となる教養が必要なのです。
幅広い教養は、新たな価値創造のように、自分の頭で考えて判断する能力や論理的に組み立てて結論を導き出す能力、さらには外国人を含む他人との深いコミュニケーションを可能にする能力などのベースになるものです。
ですから、グローバル時代の教養の森は、第三章で述べように、高いレベルで「異・自・言」(異文化理解力、自国理解力、言語力)の能力が鍛えられている必要があります。
グローバル人材とは、英語などの外国語の能力に長けているだけでなく、日本のことも相手の国のこともよく理解した上で、きちんと議論し、仕事ができる人を言います。ですから「異・自・言」を徹底的に鍛えなければなりません。
また、より高いレベルでグローバルリーダーを目指すなら、深い教養の森に専門性も備えている必要があります。ここで言う専門性とは、戦術のように、小枝の先の葉のような狭い専門領域の専門性ではなく、幹に近い太い枝レベルの専門性です。
専門性に特化しすぎると、帰った複雑な問題に対処できないからです。針山のてっぺんみたいな専門性しかないのに、何でも分かった気になるのが一番怖い。ピットホール(落とし穴)に嵌りやすいのです。必要なのは、複雑な問題の全体像を把握し、最適解を見いだせる高い俯瞰力を鍛えた人材です。具体的には、前にも述べたように「学部で学ぶ教養をさらに深堀し、太い枝レベルの専門性も獲得している人」です。
今、産業界をはじめ、社会が一番欲しいのは、そういうハイレベルな人材です。
前掲書『京都から大学を変える』p.248-251

松本氏は必ずしも基礎研究を軽視していないし、この文面を見る限り、大学における安易な実学/職業教育の推進とも一線を画しているとみることができるのではないだろうか。

もちろん、上に述べたことにつっこみを入れることはできるだろうし、上に述べたことを実現する組織が、果たして国際高等教育院やリーディング大学院(思修館)なのかという問題もある。理念を実現する組織をどう作り、どう落とし込んでいくかはもちろん重要だが、そのことについての合意を得ることは非常に難しい。そこについて学内外を問わず大いに議論することは望ましいと考える。

しかし上のような記述がある限り、少なくとも私は、松本氏に対して、

  • 彼には科学技術的業績は何もない。理事の時に、たまたま山中先生のIPS細胞発見に出会い、文科省とつるんで盛り上げただけ。
  • 松本さんには学問に対する真摯な姿勢がみられません。
  • あの人は科学がわかっている人ではないです。
  • 特に基礎的な学問については無知です。

という批判を行うことは一面的すぎて、相当に妥当性は低いと結論せざるを得ない。

今回の松本批判の中には、例えば佐々真一氏が言及し内村氏がRTしている「京都大学前総長の松本紘教授による「古代宇宙飛行士説」の紹介の内容が随分ひどいということもあるようだが、これについては、少なくとも私は講演を見ていないし内容も把握していないので、詳細なコメントは控えたい。
ただ、きちんとした学問的業績のある人でも、話の内容がいささかホラ話のようになってしまう実例を少なくとも一つ私は知っている。そういうホラ話的なことに私自身は嫌悪感を持つが、しかしそれを根拠に「学問に対する真摯な姿勢がみられません」「科学がわかっている人ではない」「特に基礎的な学問については無知です。」という全面的かつ包括的な主張をするつもりはないし、それは妥当ではないと思う。私も内村氏が重大なミスを犯したからと言って、内村氏の情報がいつでも嘘だなどと主張するつもりはない。しかし少なくとも内村氏の言う内部情報にミソがついたことは確かだし、松本氏の講演もせっかくの業績に水を差したという判断を下すことはありえると思う。

*1:J. Geophys. ResearchのImpact Factorは3よりも少し大きい程度のようだが、この学術誌が当該分野でどの程度権威のある雑誌なのか、私は知らない。