片瀬久美子氏の付録への疑問(その3)-マウスの実験結果について

「マウスに対する実験結果」をヒトに適用することへの批判

片瀬氏は、マウスにおける実験結果をヒトに対して適用する議論について、かなり強い語り口で批判している。

シノドスの記事と『もうダマされない...』にはいずれも次のような記述がある。

味噌については、その成分として含まれているジピコリン酸に効果があるとするマウスの実験があると宣伝されている。
しかし、寿命が約3年しかないマウスと寿命が80年以上の人では生体維持機構が異なっている可能性があるし、
実際に人とは代謝機構などが少し違っていたりするので、マウスでの実験結果がそのまま人では通用しない場合も多い。

とくに、低線量被曝で心配されるのは被曝後10年以上経過してから現れたりする癌などの病気であり、
寿命が3年くらいしかないマウスではそこまで調べられない。

NearMetterにあるMicheletto_Dさんとのやり取りを見ると、

  • 私は生物系の理学博士で、染色体の複製分離機構に関する研究を専門にしてきました。京都大学で、あなたも多分よく知っている研究室に所属していました。マウスでの研究がそのまま人に応用できないのは周知の事実です。放射線の低線量被曝で問題になるのは、被曝後10年とかのオーダーでの発癌だったりするので、寿命が3年くらいしかないネズミではそこまでの検討は無理ですよ。
  • あくまでもマウスの結果ですよね。意味は無いとは思いませんが、実際の人での放射線防御に適用するのは一足飛びですし、プリミティブ過ぎます。学問的な興味とは別の話ですよ。
  • マウスでもある程度普遍的なことを言えるのではないか?というのは、甘いですねぇ。実際を知らないからなんでしょう。
  • マウスはマウス、ヒトはヒトです。マウスでは実現できても、ヒトではまだ出来ていないものもいっぱいあります。限界は知っておくべきですね。

というようなコメントがある。

私は次の2つの観点から片瀬氏の議論は公平ではないと感じている。

第一に、単純な寿命の比較するだけで、マウスの実験結果を使ってヒトの場合を予測する議論を棄却するのは無理があるのではないか?
第二に、マウスの実験結果のヒトへの適用について、容認する部分と否定する部分とを分ける基準が不明確ではないか?

「相対時間」で比較するという見方

まず第一の点であるが、異なる種で寿命が違っても相対時間尺度で比較するという視点が無視されているのではないか。
例えば、私のような素人でも知っている非常に有名な例として「ゾウの時間ネズミの時間」というのがある。哺乳類の寿命は異なるものの総脈拍数は15億回と同程度であるというわけだ。
この観点で言えば、ネズミの2-3年に対して、ヒトは25-30年程度の寿命になると理解できるようである。そうすると、ヒトの10年はネズミの場合の1年程度に相等するとも考えられる。
単純に同じ時間軸で比較することが妥当なのかが疑問なのである。そしてこの点は第二の問題点とも関係してくる。

あまりに全面的過ぎる主張

第二の点にはいくつかの側面がある。

ひとつには、片瀬氏の発言があまりにも全面的・包括的過ぎるという点である。片瀬氏自身は「マクロビオテック」に限定しているのかもしれないが、
「マウスでもある程度普遍的なことを言えるのではないか?というのは、甘いですねぇ。実際を知らないからなんでしょう。」
などという発言は、マウスにおける知見を元にヒトについて何らかの推論を行うことまで含めた全面的な否定と受け取れてしまうものである。「ある程度普遍的なこと」を述べることさえ禁止してしまうのが自然科学者の取るべき対応だとは思えない。

例えば発がん性試験などをヒトで直接やるわけにはいかないのだろうから、マウスにおける知見を利用することは有力な方法のひとつとなりえるのではないか。
マウスの寿命が3年だからヒトにおける効果を推論するのは無理だと断定してしまったら、マウスにおける低線量被曝に関するいかなる実験結果も意味を持たないことになってしまう。
マウスにおける実験結果からヒトに対してどのようなことが起こるかを推論するというある種の帰納的議論を全否定したらそもそも自然科学として成り立たないとさえ思われてならない。

例えば、マウスとヒトの代謝系に違いがあったとしても、共通な系もあるわけだから、その部分に作用するというようなことが解明されれば、それはヒトでも起こりうることだと考えるべきだろう。
つまり個別の実験結果ごとに議論するべきだと主張したいのだ。
「寿命が約3年しかないマウスと寿命が80年以上の人では生体維持機構が異なっている可能性があるし、実際に人とは代謝機構などが少し違っていたりする」という書き方では具体的なことは何もわからないし議論のしようがないことも付け加えておくべきだろう。
マウスにおける試験がヒトに対する効果の目安となるのは、マウスとヒトの間に共通するものがあるからなのだろう。だとするならば、ある実験がマウスにのみ効果をあらわしヒトに対しては効果がない可能性があるという批判を行う以上、マウスとヒトではどのような相違性があるのかを具体的に指摘し、その実験がヒトでは効果を発揮しないことの理由となる仮説のひとつも述べるのが自然科学者の務めではないだろうか。
片瀬氏の議論は、ヒトとマウスの差異性ばかりが強調され、共通性という観点が無視されていると感じられてならない。

もうひとつには、既にマウスにおける実験結果を用いて推論されている事柄はいろいろあるはずで、それらについての評価を明示せずに、マウスにおける実験結果を全否定的に断定することは公平性を欠いていると思うのだ。

例えば同じ「もうダマされない....」の中で、松永和紀氏の議論の中で取り上げられている「曝露マージン」の計算においても、齧歯類における実験結果が利用されている。
片瀬氏が引用している松永氏の記事でも「フランスでラットを用いて、実際に被ばく治療に使われたことがあるプルシアンブルーという物質とアップルペクチンセシウム排出効果を調べた結果が、2006年に論文として発表されている。結果は、プルシアンブルーは「効果あり」、アップルペクチンは「なし」である。」というような記述もある。

片瀬氏がマウスにおける結果からヒトにおける効果について述べることに対して否定的なら、マウスにおける結果を用いてヒトに関する効果を議論したり基準を定めようとすること全てについて疑義を呈さなければ公平ではないと考える。

松永氏の記述に対しても、「マウスとヒトでは代謝系が異なっている部分もあるので、この実験だけからヒトでも効果がないと結論することはできませんよ。」とコメントしなければならないはずだ。
これは単なる優先順位の問題ではなく、自然科学者としての一貫した態度が取れているかどうかに直結する問題だと考える。それほどに片瀬氏の書きぶりは全面的・包括的であるように私には見える。

他方もし、個別の結果について否定的に述べたいというだけなら、マウスにおける結果からヒトについて何かを述べている個別の議論ごとに判断し、その基準や根拠を述べるべきであり、全面的・包括的な言い方は避けるべきだと考える。
何を基準にして容認するか否定するかが明確でないまま片瀬氏のような発言をするのは、議論として行き過ぎていると考える。

補足

ひとつ最後に補足しておくと、片瀬氏や「もうダマされない...」の著者の一人である菊池誠氏が、マウスにおける結果をヒトに適用することに疑義を呈するのは、それだけ両氏が批判している「ニセ科学」の側が、「マウスにおける結果」を強調しているからなのだろう。
であるからこそ、両氏はマウスにおける結果を取り上げることに否定的なのだと私は推測する。そしてそれは確かに議論を展開する上でのひとつの視点ではあろう。
しかし論敵を批判するために実験結果の意義を判断する基準を変えるのは公平ではないし、片瀬氏の言い方は一方的過ぎると感じる。
例えば私は松永氏の記事森田満樹氏の記事の方がより冷静で読む価値のある記事であると思うし、それを引用して断定的に語る片瀬氏の文章を載せるよりも余程説得力があるのではないかと思った。
片瀬氏は両氏の文章のアドレスを書くだけではなく両氏の主張を的確に要約して述べればよく、それ以外の自分のコメントを書く必要はなかったのではないかとさえ思える。