片瀬久美子氏の付録への疑問-interlude-

ツイッター上でsalmo@invasivespeacie氏からツイッターでの発言にURLがないこと、時間的なことが不明であるという批判があったので、(その2)から(その6)までの中で片瀬氏の発言に関する部分を片瀬氏のツイログにリンクしてみた。buvery氏のツイートもリンクを張った。既にこれらには片瀬氏からのコメントをいただいているので、記事の編集はこうしたリンクの付加などの作業に留め、内容的な部分の変更はしないことにする。
追記:片瀬氏の対応を受け、(その6)の内田氏に対する部分は削除した。(2011.11.29.)


salmo@invasivespeacie氏からは「牽強付会」とのご批判もいただいた。そうした見方もあるのだろうとは思う。例えば片瀬氏自身の行動や片瀬氏の書いた付録には私が批判した点以外により多くの評価するべき点があると考える方からすれば、私の批判が本質的ではないと映るかもしれない。(その1)でも述べているように、私は片瀬氏のすべての言動が誤りであると主張したいわけではないし、すべての言動が批判されるべきものであると主張しているのでもない。


私自身さえ、片瀬氏が多くの資料とデータを調べてそれらを提供していること自体には評価に値すると考えている。


しかし、私が問題にしているのは、片瀬氏が提供しているデータそのものやデータを提供する行動自体ではなく、片瀬氏自身の言葉で語られた分析や論証において、「蓋然性」や「重要性」の判断が私とあまりにも大きくかけ離れていることだ。最も重要な点は漏らさずに書く。最も蓋然性のあることを漏らさずに書く。その観点から見ると、私が取り上げた片瀬氏の議論は、「蓋然性」を無視した単なる「可能性の列挙」であったり、最も重大であると考えるべきポイントに一切の言及がないというものである。私はそのことを問題にしている。
時間ができたときに、片瀬氏からのコメントを引用しながら各記事についてもう少し私の考え方を説明し、疑問点を明確にしたいと思っている。


(なおこの記事は随時加筆する可能性がある。)