片瀬久美子氏の付録への疑問-いくつかのコメントへの御礼と応答-

ツイッターはてなダイアリーなどでいくつか今回の記事に対するコメントをいただいたので、目に付いた範囲でいくつかの記事やコメントに御礼を述べ、私の視点についてさらに補足する形で応答させていただきたい。「である調」で記事を書いてきたので、ここでもそれで統一することをご容赦いただきたい。

椿の奇形と不安の種とを執筆したアサイ@poplacia氏がツイッター上でコメントしてくださった。

アサイ@poplacia氏に感謝したい。
アサイ@poplacia氏のコメントには、いくつかの観点があると思うが、ここでは、このツイート
「例として挙げている(挙げていない)ことに対して「わずかな助けにしかならない」とまで読み取るのは大仰ではないかな、とは感じました。」
について弁明しておきたい。私の書き方が大仰であると感じられる向きは確かにあるかもしれない。
しかし、私が「わずかな助けにしかならない」と書いたのは主として次の2つの観点からのものだった。


ひとつは、蓋然性の問題である。もちろん私は専門家ではないので確実なことは言えないが、その前提で言うと、目の前にある「異常な状態であるように見える植物」の原因として考えられる可能性の中で最も可能性が高いものは何かということである。私は「環境適応」や「先祖返り」といった可能性がないと主張しているわけではないし、金魚椿の場合には「先祖返り」が疑われるということであろう。しかし、「これは放射線によって引き起こされた奇形植物ではないか」として報告されているいろいろな事例を見てみると、実際に疑われる要因としてまず第一に掲げるべきなのは、病害虫やウィルス・細菌の感染・薬剤などではないかということである。私は、片瀬氏の文章の中に、最も蓋然性が高いと想定される原因が挙げられていないために、目の前の「異常な状態であるように見える植物」の形態を理解するための手がかりとして重要な事例が欠けていると考えた。


もうひとつは、「過去との比較」が有用であると考えにくいと感じているということである。確かに、「異常な状態であるように見える植物」がこれまでにもあったのか、それとも最近おきた出来事なのかということを把握することは、その植物の状態を理解する上で大切である。しかし、そもそも目の前に「異常な状態であるように見える植物」を発見してしまった普通の人は、以前から植物を良く観察していた人ではないことのほうが多いように思う。福島の事故後に注意を向けた人がほとんどだと思えるのだ。だとすると、そもそも過去のデータと比較しようとしても、もともとそういうデータがその人に蓄積されていないことになってしまう。そうであるとすると、いくら「過去と比較しなければわかりません。こういう可能性もありますよ。」と言われても、その人にとって目の前の「異常な状態にあるように見える植物」を理解する手助けにはならないのではないかと考えた。(この視点は、本文にはあまり正確に述べなかったが、片瀬氏の応答に対して返信した。)だとすれば、むしろ目の前にある植物の形態を良く観察してみることから始めるしかないと考える。


念のため誤解されないようにしたいのだが、私は放射線による遺伝子変異を取り上げていないことを批判しているのではない。まず目の前の「異常な状態にあるような植物」を理解するために、蓋然性のある原因を列挙し、その原因を推定するためのいくつかの判断材料を提供することの方が、「過去と比較せよ」ということよりもよほど有用であると私は考えている。仮にそこまではスペースがないとしても、最も可能性が高いと考えられる原因への言及は不可欠だと考える。片瀬氏の議論で「放射線による変異」が触れられていないことを問題視しているのではなく、「病害虫やウィルス・細菌の感染・薬剤」といった蓋然性のある原因が取り上げられていないことを問題視しているのである。また放射線で起きている可能性がある現象とそうでない現象が混在しているという書き方に問題があると考えていることも付け加えておきたい。


私は「為にする議論」をしているという認識はないが、書きぶりがいささか執拗すぎるというご指摘は他の方からも頂いている。アサイ@poplacia氏からもそのようなご指摘があるとすれば、それは甘受しなければならないことだと考えている。



next49さんがコメント記事を書いてくださった。

丁寧に読んでいただいたことにまず感謝したい。またnext49さんのまとめ方は(私のようにややもすると冗長になる書き方と比べて)端的に私の議論を要約しnext49さんの問題だと感じる点が列挙されていた。その労に感謝したい。


ただ、私としては、私が最も述べたかった趣旨であるところの「蓋然性」「重要性」そして「全面性」という3つの論点について、
十分に伝わっていないのではないかと感じた。next49さんの記事に即して私の論点を補足させていただきたい。

O157に関する記述(その2)

私が第一に問題にしているのは、「米のとぎ汁乳酸菌」に混入する可能性の高い食中毒菌は何かという「蓋然性」だった。
googleでの検索結果はO157の引き起こす食中毒のインパクトの大きさであって、蓋然性とは別の観点であると考える。
私は、「米のとぎ汁乳酸菌」にO157が混入する可能性もかなり低いと思うが、それを飲用したりする際にO157による食中毒を発症するというのはさらに可能性が低いと考えている。100個程度では発症しない菌やウィルスが混入し、それが増殖して発症するのに十分な個数になってしまうということは考えられる。しかし、100個程度で発症してしまうようなO157の場合には、それが家庭の台所に入り込んでしまうと、米のとぎ汁乳酸菌に混入して増殖してしまう前に、その家庭で感染がおきてしまうと考えるからだ。


しかし、片瀬氏はどうやらかなり蓋然性があると考えているように見えたので、それに疑問を呈した。
その応答としては、「蓋然性は低いが、万一のときのリスクは大きい」という返答がありえたと思うし、
next49氏も推測している通り、私もその答えになるのだろうと予想していた。
そういう場合を想定して、最後に第二の問題提起を書いた。
その趣旨は、「極めてありそうもないことでもその結果が重大だというだけで例示する方法」が正当化されうるかというものだった。
この手法は場合によっては片瀬氏が批判している人たちと同じ論法に陥る危険性もあるので、私は非常に慎重にしなければならないと考える。
しかし、もし片瀬氏が「極めてありそうもないことでもその結果が重大だというだけで例示する方法」を取ったと宣言し、
またそれで正しいと主張するのなら、私はそこはより慎重を期すべきだと述べつつも主観的判断の違いとして認めることもやぶさかではなかった。
しかし、片瀬氏がこの記事に対して寄せたコメントは、そうした私の問題提起には何ひとつ答えてくれなかったように思う。

マウスに関する記述(その3)

この記事で私が問題にしているのは、「マウスによる結果からヒトに関する効果について推測する」という行為に対する片瀬氏の「全面的・包括的」否定と受け取れる書き方だった。


next49氏の2つ目の論点の要約では、「マウスにおけるnegativeな結果だ出たとき、ヒトでもpositiveな結果が出るかもしれない」と考えることが効率などの観点で非現実的だと述べられている。その点はある程度私も同意する。ただ、片瀬氏の議論通りに考えると、「低線量被爆」に関しては、「マウスでnegativeでもヒトではpositiveになる可能性がある」と主張しているようにも読めることは指摘しておくべきかもしれない。


しかし他方、私の書き方がまずかったのかもしれない。私は、片瀬氏が次のような主張もしていると考えている。つまり「マウスにおけるpositiveな結果が出ているとき、ヒトでもpositiveな結果が出る可能性があると推論するのは間違っている」と。マウスとヒトとの差異が強調されすぎているために、私には片瀬氏がこの主張をかなり全面的に支持しているように私には見えた。私はそのことがかなり信じがたいと感じた。後のアップルペクチンの場合とも関係しているが、例えばマウスにカリウムの添加された食物を与えるとセシウムの排出が促進されるという結果が報告されている。私はこのことからヒトでもカリウムを摂取させることによりセシウムの排出を促進させる効果が期待されると結論することに問題があるとは思わない。他にも、放射線防御という観点に限ってみても、生態半減期の長い放射性物質をヒトに直接投与することにはかなり危険が伴うので、マウスによるpositiveな実験結果がいろいろ報告され、ヒトの場合の効果について参考にされているのだと考えられる。マウスによる実験結果については、必ずしも製薬に関する視点だけではないはずだが、私には片瀬氏の主張が、全面的かつ包括的であるように感じられたので疑問を呈したのである。


なお、「相対時間」による比較に関しては、そもそも片瀬氏自身にそのような視点はないように思われた。単なるスペース上の問題や文献を示すべきというレベルではないというのが私の意見である判断である。

環境適応について(その4)

上のアサイ@poplacia氏への応答の中でも述べたが、私は単なる可能性をいくつか列挙するだけではなく、もう少し普遍的に通用しうるレシピを書くほうが役立つと考えているが、少なくとも蓋然性のある要因は落とさずに書くべきだと考えている。私は放射線による変異の可能性が書かれていないことを問題視しているのではなく、片瀬氏の議論において、「病害虫やウィルス・細菌の感染・薬剤」といった蓋然性のある原因が取り上げられていないことを問題視している。

next49氏が最後に指摘している放射線に関する部分は、私の書き方がよくなかったかもしれない。私は、「目の前の異常な状態であるように見える植物」が放射線にある遺伝子変異であると決め付けないためにも、より蓋然性のある原因を落とすべきではないということを述べたかった。

論文検証について(その5)

これに関しては、next49氏の「論文に書いていないことを好意的に読んであげてはいけない」や「批判的に読む」ということに関する見解には異論がある。
いくつかの視点があると思う。


私はこの論文を見たとき、これだけの有意な差が出ていることに驚いた。そしてそれはなぜなのか考えた。確かに片瀬氏の指摘するような不備はある。しかし私が記事の中で考察したように、そのどの観点もこの「有意な差が出た」という事実を覆す根拠にはならないと考えた。それではこの論文は「アップルペクチンの効果を立証していることになるのか」と考えた。結論は本文中で述べたようにNoだった。カリウムが含まれていることが原因であるという蓋然性があり、しかもそれが論文中に記載されていないことが最も本質的であると考えた。


この論文を「批判的に読む」という場合には、「有意な差が出た」という「事実」が「アップルペクチンの効果である」ということを立証しているかという最も本質的な部分を吟味しなければならない。いろいろな問題点の中でこの論文の最も中心的な主張が、どの程度立証されているかを問うことこそが、研究者としての「批判的に論文を読む」ということだと私は考える。片瀬氏が一人の研究者として発言していると考えられる以上、この着眼がなければそれは「論文を検証した」とは言えないと私は考える。


そして同時に私は片瀬氏がこの実験において氏のあげた5つの観点をクリアすれば、効果が証明できると考えているという発言にも注目した。氏が「ビタペクト」の効果が証明できると言いたかったのか、それとも「アップルペクチン」の効果が証明できると言いたかったのか、私には判断がつかなかったが、こうした曖昧な言い方は、論文を批判的に読むこと、中心的主張がどのレベルで立証されているか、何が不足しているかを問う上で、片瀬氏にはかなり重要な見落としがあるのではないかという示唆であり、そこが問題だと考えた。


追記:next49氏が記事についてのコメント中のごんべえ氏とのやり取りで述べておられる「トリビアル」という用語の使い方が私にはよくわからなかったが、私の主張は、「片瀬氏の挙げた根拠で実験の信頼性を覆すのは困難である」という主張から始まっている。それは言い換えれば、片瀬氏の指摘した不備だけでは実験結果の信頼性には影響しないということに他ならない。

anond:20111128221627氏がコメント記事を書いてくださった。

コメントを頂いたことに感謝したい。


私は、片瀬氏が一人の研究者の立場から発言していると考えていたために、その発言の正確性や厳密性に問題があると感じてこれらの記事を書いた。
しかし、私の書き方がいささか執拗に過ぎるとのご指摘や、もう少し建設的なコメントの提示の仕方があったはずだとのご指摘は甘受させて頂きたいと思う。