片瀬久美子氏の付録への疑問-片瀬氏のコメントに対する詳細な応答と補足

(その2)から(その6)までの記事に片瀬氏からのコメントを振り返りながら、私が問題だと考えている点をさらに敷衍して述べたい。

O157の問題(その2)について

片瀬氏からのコメントは次のようなものだった。

ドイツでの食中毒騒動はご存知ですか?スプラウトの栽培中に紛れ込んだ腸管出血性大腸菌O104が原因でした。( http://www.foocom.net/column/editor/4356/ ) 大腸菌O157も同様です。最新の情報をちゃんと調べましょう。この様に大腸菌であっても、どこから紛れ込むか分かりません。「O157が米のとぎ汁乳酸菌に混入する可能性はきわめて低いように思えるのだ」と、思うだけで決めつけてしまうのはとても危ういです。食中毒に関わる菌は、常にそこら辺に潜んでいてもおかしくないのです。

私の応答は次のようなものだった。

コメントを頂きありがとうございます。一般的に大腸菌が様々な過程で紛れ込む可能性があること、またその結果が時として重大であることは理解できます。しかし、頂いたコメントを呼んでもなお私には次のことがよくわかりません。片瀬さんは、「ノロウイルスカンピロバクターサルモネラ属菌」というような食中毒の3大原因となっているものよりもO157が紛れ込む可能性の方がより大きいと考えておられるのでしょうか?それとも蓋然性は低いが結果が重大だから特別に挙げる意味があるというお考えなのでしょうか?

私が第一に問題としているのは「蓋然性」である。「米のとぎ汁乳酸菌」を飲用して不幸にも食中毒に感染する事例がおきたとしよう。それが腸管出血性大腸菌O157である可能性がどの程度なのかという点だ。
片瀬氏は11/28のツイートで、

[参考] 厚生労働省腸管出血性大腸菌Q&A http://bit.ly/ts23ID  (ドイツでスプラウトに発生した腸管出血性大腸菌によるケース http://bit.ly/w4yPr7ツイログ

なども挙げているし、上の返信などからも、やはりかなり蓋然性があると考えているようだと判断せざるを得ない。しかし、感染経路が様々であることと蓋然性とは別の問題である。「食中毒に関わる菌は、常にそこら辺に潜んでいてもおかしくないのです。」と言っても、「O157」は家庭の台所の片隅に潜んでいる可能性は非常に低いと考えざるを得ず、それが「米のとぎ汁乳酸菌」に混入して食中毒が発生する可能性はさらに低いと考えざるを得ない。非常に少数で発症するということが重要なポイントだと考えている。

片瀬氏はマウスによる実験結果に関する(その3)への応答で、動物試験を一通りパスしたものが人の臨床試験でも成功する確率は18%であったことを挙げている。18%という数字をとらえて、例えば「マウスでもある程度普遍的なことを言えるのではないか?というのは、甘いですねぇ。実際を知らないからなんでしょう。」という発言をしているとするなら、O157が「米のとぎ汁乳酸菌」に混入して食中毒が発生する可能性は一体何%だと考えているのであろうか。また、片瀬氏のもとの記事で「その危険性は低線量被爆よりもずっと高い」とある。食中毒一般の危険性ならそうかもしれないが、「O157が混入して食中毒に感染する可能性」と比較するなら、私はそれさえ「ずっと」というほど有意な差はないのではないかとあえて疑問を呈したいくらいなのである*1


片瀬氏は別の件で11/29と11/30に次のようにツイートしている。

私はこの発言に同意する。私が問題にしているのは、「O157が米のとぎ汁乳酸菌に混入して食中毒が発生する可能性」は「ゼロではない」が、蓋然性はないという点である。もし片瀬氏がこの可能性が大きいと考えているとしたら、それは正しくないと考える。もし逆に、この場合は可能性がゼロではないという理由で例示することが正当化されるというのなら、そこにはそれなりの理由付けが必要である。その理由付けがなければ二重基準ということになってしまう。

私は、「O157が「米のとぎ汁乳酸菌」に混入して食中毒が発生する可能性」が低いことには同意が得られると思っていた。残念ながらそのようにはならなかったが、先に取り上げたほかの方々からのコメントの中にも、「米のとぎ汁乳酸菌」に全く効果がない以上、危険性の中で可能性が低くともインパクトが大きなものを提示する手法が正当化されるのではないかというものがあった。この点が何の留保もなく同意できるかどうかは微妙な問題であると私は考える。

いささか乱暴だが、例えば反原発を標榜する人にとって、原子力発電には何のメリットもないかもしれない。だから非常に可能性が低いがインパクトは甚大な原発事故の例示を使って原発を止めさせようと考えるかもしれない。しかしこのような議論は原子力発電にもそれなりのメリットがある人からしてみれば受け入れられない議論だし、そうした議論の仕方に反対するだろう。今回問題になっている「米のとぎ汁乳酸菌」に放射能を低減させる効果がなさそうなことは私も同意する。しかし効果があるかもしれないと思って実践しようとしている人に、可能性の低い「O157混入による食中毒の可能性」を説いても、おそらく伝わらないだろう。実際『「米のとぎ汁乳酸菌」信奉者を説得するのは糠に釘である。』というまとめを見ると、むしろO157の例を出すことよりも、家庭で作るぬか床との違いを丁寧に説明するといった方法の方が適切であったと言わざるを得ないのが実情なのではなかろうか*2

「全く効果がない」という結論や「害が出そうだから止めさせたい」という目的が仮に正しくても、議論の方法は慎重に検討する必要があると私は考えているし、そのことは本文や他の方へのコメントにも書いたので繰り返さない。

マウスにおける実験結果(その3)について

片瀬氏のコメントは次のようなものだった。

マウスなどの動物実験で効果が認められ、さらに一通りの毒性試験が動物レベルで行われ、問題が無いとされたものが、人での臨床試験に移行します。動物実験レベルで効果があったとされていても、人ではその8割以上が通用しません。(2000〜2008年の調査では、動物試験を一通りパスしたものが人の臨床試験でも成功する確率は18%でした)
◇医薬品開発の期間と費用:JPMA News Letter No.136(2010/03)
http://www.jpma-newsletter.net/PDF/2010_136_12.pdf
人で効果が確認されていることが必要です。また、人で調べられていないものは思わぬ副作用がでる可能性もあります。

私の返信は次のようなものだった。

コメントありがうございます。私が問題にしているのは、片瀬さんの「全面性・包括性」です。確かに製薬という点ではマウスによる効果だけでヒトでも必ず効果があるとかヒト用の薬が実用化できるとは限らないでしょう。しかしマウスによる実験結果というのは例えば片瀬さん自身が取り上げられている放射線の影響に関する評価書の中でも随所で取り上げられています。それがなぜかと言えば、(ヒトに影響があるということを確実に断定することが難しいとしても、)影響が出る可能性があると推定されるからではありませんか?またマウスで影響が出るメカニズムが解明されそれがヒトでも共通している系であれば、ヒトでも同じような影響が出る可能性は高くなるでしょう。片瀬さんの主張では、マウスによる実験結果からヒトに関して何かを推測する行為すべてが否定されてしまっているということを問題にしているのです。

片瀬氏のコメントは「製薬」という視点からのものであるように見える。しかし、私が指摘しているのは、片瀬氏の議論の中には必ずしも「製薬」だけにとどまらない全面的・包括的主張が含まれているのではないかということだった。「マウスでもある程度普遍的なことを言えるのではないか?というのは、甘いですねぇ。実際を知らないからなんでしょう。」という発言を私はかなり問題視している。あえて言えば、18%という数字はこうした全面的・包括的主張をするための数字としてはかなり高すぎると感じる。


(その3)で取り上げたNearMetterにあるMicheletto_Dさんとのやり取りを見ると、Micheletto_D氏の発言には、

「癌幹細胞は低線量放射線によりAkt→CHK1/2経路で修復系が活性化されて放射線耐性が亢進しますよね?これをホルミシスの本体とは考えませんけど、同様な修復系の活性化はホルミシスの説明の一つかもしれません」
「僕は、マウスでもある程度普遍的なことを言えるのではないか?と思っています。できないこともありますけど。老化とか他沢山。で、低線量のしきい値を示すのにある遺伝子の機能に注目してその存在を示すことは有用だと思います。」

というようなものがある。これは、メカニズムベースの議論で、「マウスとヒトに共通する系」を取り上げて議論しようという試みであるように私には思われた。私はMicheletto_D氏の議論が正しいかどうかを判断できるだけの知見をもっているわけではない。しかし、共通性で議論しようとする相手に対して、

「マウスでの研究がそのまま人に応用できないのは周知の事実です。放射線の低線量被曝で問題になるのは、被曝後10年とかのオーダーでの発癌だったりするので、寿命が3年くらいしかないネズミではそこまでの検討は無理ですよ。」
「あくまでもマウスの結果ですよね。意味は無いとは思いませんが、実際の人での放射線防御に適用するのは一足飛びですし、プリミティブ過ぎます。学問的な興味とは別の話ですよ。」
「マウスでもある程度普遍的なことを言えるのではないか?というのは、甘いですねぇ。実際を知らないからなんでしょう。」

といった概括的な議論をするのは不適切だと考える。少なくともそのような議論の仕方が「研究者」目線の議論であるとは思えない。

福岡伸一プリオン説はほんとうか─たんぱく質病原体説をめぐるミステリー─』*3のp.47-49にかけて羊のスクレイピー病の研究における実験用マウスの活用に関する記述がある。

1960年代の初めにディック・チャンドラーという研究者がスクレイピーにかかった羊の脳をマウスに注射する実験を行った。マウスは数ヶ月後痙攣や歩行困難などの症状を呈した。またそのマウスの脳を健康なマウスに注射すると病気が移ることがわかった。その後、キンバリーとディキンソンという研究者が、スクレイピーにかかった羊の脳をたくさん集めてきてマウスに注射してみた結果、潜伏期間が5ヶ月から1年と様々で、冒される脳の部位や沈着物が異なっていることを発見し、スクレイピー病にも多様な変異株があることを突き止めた。

というくだりである。ヒトの場合の潜伏期間は数年から十数年と長い。ここでマウスの寿命は3年で、ヒトでの発症は数年から十数年のオーダーなのでマウスによる実験結果でそこまでの検討は無理だと断定してよいだろうか。マウスとヒトでは生体維持機構や代謝機構が違っている部分もあるのでヒトにも影響があるとはいえないと断定できるだろうか。この実験を健康なヒトに対して行うということは許されない以上、マウスでpositiveな結果が出ているのならばヒトにおいてもpositiveな結果が出る可能性をそれなりに疑ってみる必要はあるはずだ*4

マウスによる実験結果は必ずしも製薬だけに利用されるのではない。自然科学の様々な局面でマウスにおける実験結果は重要な役割を果たしている。片瀬氏の主張は、何か具体的な事例についてのみ述べられているものなのか、一般的なマウスによる実験に対して述べられているのか判然としない部分が多く、「マウスで効果が確かめられたある具体的な健康食品がヒトにとっても有益かどうかはわからない」というレベルのものから、「低線量被爆に関するヒトへの影響はマウスでは調べられない」とか「マウスでは、『ある程度普遍的なことを言う』ことさえ無理だ」というようなレベルの主張まで見受けられる。

マウスによる効果を宣伝する商品に対して、「マウスはマウス、ヒトはヒト。マウスとヒトは違うからヒトでの効果なんてわからない」と批判することは非常に容易い。しかしマウスによる知見はヒトに対する知見を予測するために幅広く用いられている以上、その健康食品に対して、マウスとヒトの相違性だけを持ち出して否定しようとしてもそれには無理があると私は考える。むしろマウスにおける効果をうたっている論文の内容を検証することによって、ヒトへの効果を棄却する方が決定的ではなかろうか。マウスではないが、例えばアップルペクチンの論文では、何がセシウムの排泄を促進したのかということに対して有力な仮説が立てられ、アップルペクチンの効果によるものではないことやそれを利用した製薬が難しいことがかなりの確証をもって明言できるのではないかと私は考える。そうした事実を積み上げる方が、片瀬氏のしている雑駁で全面的・包括的な断定よりも余程決定的であると私には感じられる。

植物における環境適応(その4)について

片瀬氏からのコメントは次のようなものだった。

色々と反論を書かれていますが、私のいくつかの解説は植物を観察する時の注意点です。
原発事故の影響により、奇形の動植物が増えたかどうかの判断は、事故前と事故後で、観察される動植物の奇形が「実際に増えたかどうか」の比較が必要です。
当然、事故前後での状況の比較をして、それが確認されてから主張できることです。この事が最も大切であり、これについてもきちんと書いてあります。

私の返信は次のようなものだった。

コメントありがとうございます。この記事で述べていることは、厳密には片瀬さんの書かれたことに対する「反論」ではありません。
そもそも今目の前に「異常な状態であるかのように見える植物」があるとき、以前の様子を思い出せといってもそもそも思い出せないかもしれないし具体的に観察もしていないかもしれないわけです。すると以前の様子を思い出そうにもそうはいかないことの方が多いと感じます。そうした状況のとき、目の前のその「異常な状態にある植物」の形を良く観察してみた上で、その原因を推察するとき、その中で最も「蓋然性の高い原因」は何かと考えてみると、それは片瀬さんのおっしゃるような「環境適応」や「先祖返り」ではないのではないかということが私の主張していることです。もっとも蓋然性が高いと推定されることについて何も書かないのがバランスを失しているのではないかというわけです。

私は「実際に増えたかどうか」の比較は意味がないと主張しているわけではない。私がもとの記事で指摘したのは、目の前にある「異常な状態にあるように見える植物」を観察した場合、考えられる可能性の高い要因が十分に列挙されていない/誤解を与えるのではないかということだった。片瀬氏が挙げている「環境適応」は、目の前にある「異常な状態にあるように見える植物」として考えられる原因の一部に過ぎず、「先祖返り」は放射線による遺伝的変異の可能性もあり、そうでない可能性もある。目の前に「異常な状態にあるように見える植物」が現にある人に対して、「植物は形を変えやすいですから、頻度を比較しましょう」と主張した場合、仮に「頻度を比較しましょう」という主張が正しくても、「植物は形を変えやすいですから」という理由に蓋然性がなければその推論は不適切だと言わざるを得ない。放射線による遺伝的変異を疑う前に他に疑うべき可能性がたくさんありますよというのなら、可能性の高い要因を落としてしまった形の例示は適切ではないのではないかと疑問を呈しているのである。

2011.12.15追記:例えば、「それは奇形じゃなく病気です」にあるような指摘やこの記事にリンクされている「診断に役立つ 埼玉の農作物病害写真集」浜口農園さんの「病虫害」のページといった情報源を押さえておくことで、病害虫が原因になっている可能性も指摘できたのではないかと考えるが、片瀬氏の文章にそうした記述はない。


片瀬氏は、11/28に

植物が形を変えるのは放射線の影響だけではない可能性を指摘して、実際に原発事故の前後である事象の発生頻度に変化があるかどうかを確認するのが大事という話の流れでの説明なのに。本質的なものではない所で難癖つけられても、困りますよね。

と述べている。これはO157のところでも述べた観点だが、「可能性の指摘」に蓋然性という基準が伴っていることが大切だと私は考える。可能性がゼロではないという理由だけで例示として取り上げることが不適切であることは片瀬氏も述べていたのではなかっただろうか。「金魚椿」については「先祖返り」である可能性が強く疑われるので「先祖返り」という可能性を指摘することは正当だと考える。しかし、「異常な状態にあるように見える植物」を観察するという一般的な視点で議論する場合には、もっと蓋然性を検討しなければならないと私は考える。

そして片瀬氏の応答にから生じた第二の問題点は、「発生頻度を比較する」という行動が可能かどうかという点だ。あえて言えば「過去のデータ」を持っていない人に、「過去のデータと発生頻度を比較しましょう」と主張して一体どいういう意味があるだろうか。その主張は「過去のデータ」を持っている人にしか有効ではないのは自明である。「発生頻度」の比較は大切だが、それが常に可能というわけではないし、またかなり難しい可能性がすぐに想定される以上、片瀬氏の議論はかなり不十分であり、誤解を招くのではないかというのが私の考えである。

リンゴペクチンに関する論文検証(その5)について

片瀬氏のコメントは次のようなものだった。

論文は「第三者が検証できる」様に、必要な情報が漏れなく記載されていることが必要です。これは、論文を書く時に必ず学ぶ基本的なことです。必要な情報が漏れているという時点で、その研究者の科学的な修行が足りないor態度がいい加減だと見なされ、その論文の質というものはほぼ決まったようなものです。
三者の検証を阻むような情報隠しがあれば、さらに悪質です。私が結果についても一応吟味したのは、親切からです。この論文がまともに専門家の間で扱われないのは、当然であり、この点が改善され無い限り基本的な問題は解消しません。

私の返信は次のようなものだった。

コメントありがとうございます。この論文がまともに扱われないのは、「必要な情報が漏れなく記載」されていないからではなく、Vitapectに混ざっているアップルペクチン以外成分についての考察が欠けているために、アップルペクチンの効果が証明できていないからではないでしょうか?
私は専門家ではないので上で私が書いたコメントのすべてが正しいかどうかはわかりませんが、結局片瀬さんは「Vitapectに含まれるカリウムの効果」についての検証については何もコメントして頂けないのでしょうか。少なくとも私が上で書いたことの方が片瀬さんが指摘した問題点よりよほどメジャーなコメントなのではないかと考えます。

片瀬氏のコメントは片瀬氏の記事の内容を踏襲したものだったように思う。単に論文の不備を指摘するというだけなら片瀬氏の指摘が間違っているわけではない。しかし、私はそれらの根拠だけで論文で指摘されている有意な差を棄却できないのではないかと述べたが、そうした疑問に関する応答はない。

あえて率直に言えば、この論文に書かれたデータを見て、どうせアップルペクチンに効果があるはずがないのだから、執筆者が意図的にデータを隠しているのではないかとか、記載しているデータに不備があるじゃないかとか批判することしかできないとしたら、それは目が曇っているとさえ思う。もう自然科学者としてのもっともプリミティブな好奇心を失ってしまっているのではないかとさえ思う。それほどにこのデータで出ている差は決定的であるように見える。

そういうとき、そもそも研究者が論文を検証する際に取るべき態度としては、瑣末な記載の不備をあげつらうのではなく、可能な限り問題点を洗い出し、執筆者が立てた仮説や推論が適切かどうかを吟味するべきだろう。しかも片瀬氏の発言は、もとの記事よりもエスカレートして、論文執筆者が「科学的な修行が足りないor態度がいい加減だ」と批判しているのである。その論文の信頼性はもとより論文執筆者の資質を議論するならなおさら精密に内容を分析しなくてはならないと考える。

「あの論文は、どうせやるのでしたらもっと上手い方法も選択できたのにと思います。ブラッシュアップするにはどうしたら良いのかという提案も解決法として付けました。もうちょっと工夫すれば、きちんと効果が証明できて信頼性も上がった可能性があると思います。」

というコメントを問題視していることも強調した。片瀬氏は「基本的な問題は解消しません」とコメントしているが、片瀬氏は上のコメントで、「効果が証明できて信頼性も上がった可能性」に言及してしまっている。

私が指摘しているのは、片瀬氏が指摘した問題点を修正しても、「この論文がアップルペクチンの効果を証明しているか」という本質的な問題は解消しないということである。片瀬氏が付録で書いていたのは「重大な不備がある」ということであった。論文で述べられている中心的仮説を棄却するのに、データ記載の不備や従来の知見との整合性だけでは不十分だというのが私の疑問だった。もしそれらだけが問題なら、私はとても「重大な不備」とは書けないし、そのことだけで論文執筆者が「科学的な修行が足りないor態度がいい加減だ」と批判することはできない。

片瀬氏の論文検証について、あえていくつか改善点を指摘するとすれば次のようなものは直ちに考えられる。

  • アップルペクチンの効果を証明するためには、アップルペクチンが含まれているか否かしか違いのない食事を与えるという対照実験をデザインしなければならない。この実験で与えられたVitapectにはアップルペクチン以外の成分が含まれているので、対照実験の取り方が十分だとはいえないと指摘する*5
  • セシウムの排出に関する「従来の知見」を形成するに至った論文をいくつか取り上げて、片瀬氏の指摘する視点(実験年月日・計測手法・統計手法・体重データ)が十分に記述されていることを明示する。
  • セシウムは尿と便を通じて排泄されるので、21日間の排泄物の重量などのデータやセシウムが含まれている量などのデータを取る方が、被験者の健康状態やセシウム排泄の正確な値が得られる可能性を指摘する。

もうひとつ片瀬氏のコメントに対する問題点を指摘したい。それは、「第三者の検証を阻むような情報隠しがあれば、さらに悪質です。」というコメントだ。片瀬氏は結局のところこの論文に「情報隠し」があると疑っているのだろうか。私は、疫学調査における「従来の知見との整合性」は、例えば物理学における理論との整合性などとはその厳密性に違いがあるのではないかと述べていた。単に従来の知見と差異があるというだけで、「情報隠し」を疑うのは行き過ぎであると私は考える。「科学的な修行が足りないor態度がいい加減だ」と糾弾し、「悪質な情報隠し」を疑うような底意を持ちながら、この論文検証記事を「一般に向けた論文の読み方のポイントの解説です」と述べてしまうのでは、私は公平性や誠実さについて疑念を抱かざるを得ないのである。

この論文は専門家の間でまともに扱われないのは、「Vitapectがセシウムの排出を促進した理由はカリウムである可能性が強く疑われる一方、ヒトにはカリウムを過剰に投与することは難しいために放射線防護には役に立たない可能性が高いから」だと言う以外にない。またそう指摘すれば、条件記載の不備を指摘したり、「情報隠し」を疑うまでもなくこの論文の価値は自ずから明らかになるはずであろう。

議論の姿勢(その6)について

内田氏に対する発言についてはいろいろな取り上げ方をされたし、片瀬氏から謝罪の意思が示されているのでここでは取り上げない*6。それ以外の部分に対するコメントは次のようなものだった。

その他、こちらで挙げられていることは、一方的な視点からの私への偏見とも感じます。人格への攻撃に対しては、応じる気はありません。私への評価は、世間一般の方々がどう見て下さるか、それによると思います。

私は次のように返信した。

私は片瀬さんの「人格」を攻撃したつもりはありません。片瀬さんのなさった発言をなるべく正確に引用したつもりですし、片瀬さんの議論に問題があると感じた点は、その1からその5でも丁寧に述べたつもりです。

私は片瀬氏の議論の仕方や発言がエスカレートしている点を批判した。その論点に問題があるのなら反論すればよいだけだと私は考える。また、論文検証に対する姿勢や論証の質の問題は、「世間一般」の評価とはかなり独立なものである側面が強いと私は考えている。どれだけ世間が評価しても拙い論証は拙い論証であり、少なくとも自然科学はそうした「多数決」ではないことに片瀬氏も同意するだろう。

ここまでで取り上げてきた片瀬氏のコメントの中にも、私はいささか議論の姿勢に問題があると感じられる点がある。

  • O157に関する点では、「大腸菌O157も同様です。」とか「食中毒に関わる菌は、常にそこら辺に潜んでいてもおかしくないのです。」というコメントがあった。私はO157という具体例を論じている。それ以外の大腸菌を挙げたり、食中毒菌一般について述べるような書き方では論旨がずれていると考える。
  • 論文検証では「第三者の検証を阻むような情報隠し」に言及している。しかしこの論文についてそのような情報隠しがある可能性については片瀬氏の検証記事でも述べられていなかった。当該論文とは別の倫理的問題を取り上げるのは論旨がずれていると考える。

上でいくつか指摘したように「可能性の大小」の問題もある。可能性がゼロではないというだけで例示することが問題であるかのうような発言をしているにも関わらず、片瀬氏の議論には、「可能性がある」というレベルにとどまっている指摘が非常に多い。

  • 「寿命が約3年しかないマウスと寿命が80年以上の人では生体維持機構が異なっている可能性がある」
  • 「先の金魚椿は、以前も同じように変形した葉が現れていたのだが、気象条件の違いなどにより、その頻度が今年(2011年)のほうが多めで目についたという可能性もある。」
  • 「論文には記載されていないセシウム代謝に関わる様な何か別の要因が関与している可能性もあります。」
  • 「もうちょっと工夫すれば、きちんと効果が証明できて信頼性も上がった可能性がある」
  • 「食中毒に関わる菌は、常にそこら辺に潜んでいてもおかしくないのです。」
  • 「植物が形を変えるのは放射線の影響だけではない可能性」

といった記述や発言である。これらの記述や発言にどれだけ蓋然性の検討がされているのかを私は問題視しているわけである。

*1:この片瀬氏の記述は具体的な数値を伴わない極めて形容詞的な書きぶりであることも問題であると考える。

*2:私は、腐敗と発酵の違いを自分の言葉で明確に説明する能力はないので、ぬか床とおんなじで別に危険はないでしょうと言われたときに、適切な反論はできないだろう。私は発酵食品の仕組みを簡単に解説してもらう中で単なる腐敗菌の増殖と発酵食品の違いを明確化してくれるほうがよほど役に立つと考える。

*3:私は福岡氏には生物学に関する話題を読ませる文体で書くという優れた能力があると感じている。しかし、福岡氏の主張や学問的な立場についてはいささか留保を付けざるを得ないとも考えている。それらを言語化する能力は今のところ私にはないが、ここで引用しているのは過去のBSE研究史の福岡氏によるまとめの部分である。

*4:しかし実際にはこうした観点はうまくすくいあげられずにヒトへの感染という事態に進行してしまった。マウスでpositiveでもヒトではnegativeな場合もあるだろうし、狂牛病のヒトへの感染のようにヒトでもpositiveな場合もある。自然科学における研究やその社会的な影響は非常に難しい問題を孕んでいる。だからこそ私は個々で取り上げているマウスに関する片瀬氏の議論はいささかナイーブ過ぎると感じており、いたずらに振りかざすべきではないと考える。もっと論証は個別的であるべきで、全面的・包括的記述には相当の慎重さを持ってのぞむべきだと考えている。

*5:片瀬氏の論文検証記事は前半で対照実験の取り方についてかなり字数を割いて述べているのである。この指摘は欠かせないと私は考える。

*6:しかし一言述べておきたいのは、fab4wings氏のように「年齢他により面接さえも受けれない差別的状況」とか「実質差別を受けてるのは片瀬氏の方」とか「社会構造的な実質的差別は片瀬氏が受けていて」などと、あの記述だけから断定することには無理があると考えるし、またそこのことだけを根拠に片瀬氏の発言をたまたま行過ぎた愚痴であったと擁護することはできないと私は考えている。